昨日ぐるぐる思考した記事です⬇️

長いですがなかなか面白いテーマと思うのでよろしければ🙈💫



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こんばんは🌃

夜分に🙇



きょうはすごい発見をしました。






世の中の活気もないし、雨で低気圧だし、

おうちに籠ってるともんもんするしで。

よし!こんなときは片付けだ!て。



なんで見つけたかって、不思議なのだけど、

なんとなーく妙にクローゼット周りが片したくなって、

いつもはあまりいじらない上の方を探ってたら

写真の束が落ちてきた!バサバサーっ!!




たぶんわたしが幼稚園で、妹が産まれたばかりのときの写真たちかな。

父と母は30代。




久しぶりにこの時代のわたしを見て、

今までに感じたことのない感覚に陥った。





「あ、この子、わたしのなかに今もおる。」

て。





よくインナーチャイルドが云々とか

心理学でも精神論でも言われるけど、

なんか、感覚として

25歳の佐藤絵里佳の器のなかに

まるっと、この子が生きてるのがわかったというか。





いま通常意識の大半を占めている「わたし」とは別の存在。

いや、同一人物ではあるのだけど、
区切れ目がしっかりしてるかんじ。

そして「この子」が素直に表現する感情を辿って

25歳の佐藤絵里佳が意思決定をし、

ときには感情に蓋をし、コントロールをかけて動いている。





全体で見ても

一部分を切り取っても

ぜんぶわたしなのだけど。

別個の存在。





当時の母と先生とのれんらくちょうも出てきました⬇️


「先生から見た絵里佳はどんな子ですか?」という母の問い掛けに、

丁寧な文章で答えてくださってるT先生。







母からの質問に心を込めてお答えくださってるT先生が嬉しいし

母が気にしてくれてることも。

あと、紛れもなくじぶんなのだけど、
わぁそんなかんじだったんだ、すごいなぁーって
感心感激する気持ち。





やっぱり子どもって、凄いんだな。

ありのまんまの感性で自由に表現できる。

何の制限も蓋もない。






そういえば、中高の頃は

幼い頃の自分が嫌いだった。

自分で思い返すと憎たらしくて

自分のような子どもは産みたくない、とさえ
思ってた気がする🤔





でも今日こころに湧いたのは

どうしてだかわからないけど、幼いクソガキだった「わたし」への何とも言えない愛しさ。

じぶんのなかに今も変わらずに居てくれてたんだっていう、感謝。

なんだろう、ふしぎ。






ときどき、凄く気持ちがしんどくなったとき

じぶんでじぶんを抱き締めるようなイメージをしたり

怪しく見えないような状況だったら、物理的にもそういう姿勢をとったりすることがあるのだけど、



そのとき、抱き締めてあげる側は

大人の「わたし」で

癇癪起こしてピーピー泣いてるちっちゃい「わたし」を励ましてるんだって思ってたけど、

ほんとは逆だったのかもしれない。



大人になって、行き場のない感情や気持ちに苦しむ「わたし」を

いつも抱き締めてくれてたのは「この子」の方だったのかもなって。




思ったら、いろんな涙が出てきた😢






わがままでマイペースで飽きっぽくて

認めてほしくて自己主張が強くて

甘えん坊な「この子」を、20代前半頃までずっと閉じ込めてきた。

そんなわたしじゃ誰にも愛されないし上手くいかないって、思ってた、きっと。

わたしなりの、小さな経験の積み重ねから。



だから思い返すとうわあぁーーー!てなって、
「この子」が大嫌いだった。




でも1年前くらいから、いろんなひとたちと出会って、

わたしのなかの「この子」の要素を見つけてくれたひと

見つけて受け入れてくれたひとたちが居て

ちょっとずつ開けて、


「この子」は愛すべき部分なんだって、ちょっとずつだけどわかってきたから

だから今日、ありがとうって、なれたのかも。







…いやぁ、

こっぱずかしいこと書いてる。🤣🤣



けど凄い気付き。とおもう。








いま教わってる「演技」は、
嘘がないことを追求することで。


等身大のじぶんを活かして

相手を繊細に汲みつつ、湧いてくる感情を大切に。




わたしのなかの「この子」はとても素直で繊細で、

だから、「この子」スイッチを全開にすれば、ある意味どんなものにでもなれるんじゃないかなって。おもったり。




これに関しては結構感じたこと考えたことが溜まってるので、また改めて記事にしますが。





で、更に凄い発見なのは

「この子」が変わらずじぶんのなかに居るってのが感覚でわかったこと。




ああいつも、こういうときに出てくるアレ、この子だ!とか、

凄く前向きに頑張るエネルギー持ってるのも

誰かを思いやるのも

些細なことで、イテってなったり、

やだ!!我慢できない!!とか
こわい!!てなって

とつぜんシャッター下ろしちゃったりしたくなる衝動の発端も。

ぜんぶ「この子」。





大人のわたし、

どこかから飛んできたトゲが
ちいさい「この子」に届かないように、

叩いて捨ててかばう方法をいつの間にか身に付けた。

受けるトゲだけじゃなくて、
時々「この子」が外へ向けて発射するおっきなトゲミサイルの着地点をうまく操作したりだとか。笑

大人のわたしは忙しい。笑



そうやって「この子」とひとを守りながら、

でもときどき、ぜんぶを解放して
「この子」がイキイキ好きなこと出来る、感情爆発させられる

その方法を求める意味での「女優」でもある。
じぶんのなかでは。






いずれにしても、この感覚に気付けたのは大きい。

じぶんのなかに心強いパートナーが居る、そんなかんじ。



前にぐるぐる考えたときに読んだもので、
この世界は時間という概念が本来はないってのがあったのだけど、

ちいさい「この子」は、時間を超え、物理的概念も超え、

いまここに、わたしのなかに存在している。

これがほんとうの意味での、マインドフルネス??






大人のわたしも大人の世界に、社会の厳しさ?怖さ?に、溶け込みきれないところがいまも大きくて

でも1社会人として、知っていこうとしなければならないと思いつつ

でも表現者として、素直で純粋に生きてる「この子」を守りたい。

押し殺すということではなく

わたしが予想もしない方向から、「この子」を傷付けてくるかもしれない社会から、人間から、「この子」の価値を守る。





そうしてやっていけって、ことなのかな。

クローゼットさん。






じぶん、「この子」が単細胞過ぎて

感覚的に動いちゃったり、入念になるべきところでポーンとやっちゃって失敗したり

だからあーあ。なんだかな。ってなったりもしちゃうけど

愛すべきそんざい。

だからじぶんのなかでちゃんと注意して、

ここではこうするんだよって教えてあげながら

手を取り合って、やっていこうと思えた✌️






そして、「この子」も

このことに気付いた今のじぶんも含め

守られているのだということ。

わたしが知らないところで、守ってきてくれたひとたちが居たんだってこと。

呑気にこんな記事を書けるのは

単純に、いろんなことを知らないからってだけなのかもしれない。

そうだとしたら、劣等感も少し。

だけど、

知らないからこそ

じぶんの価値観を、世界観を持って

照らせる何かや誰かもあるのかもしれない。

そうだとしたら、わたしはただただ、じぶんの中に生まれる気持ちや想いを大切に

愛を持ったアクションが出来るように努力していこう。

それが、役目なのかな??て。

😌




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なんか凄いコアなこと書いた、きがする。

えりかの頭のなかは、こんなときもあります。笑

おもしろいでしょ!






世の中はたいへんなとき。

最前線で闘ってくださってるひとたちのおかげで生きられてる。

それに感謝しながら、

不安になりすぎず、いまできること、やりたいけど出来なかったこと、やってみましょ。






皆様のこころが平穏でありますように。

ありがと!🐣