この写真は私の幼児の頃の写真ですが、父が教員を始めたばかりの頃に
山形県飯豊町の中津川中学校の教員をして時、三年間下宿していた高橋さんに送った私の写真だというのです。
今回私の講演があるということを聞いて、その息子さんがわざわざ届けてくれました。
きっと亡くなった叔父が撮ってくれたのだと思いますが、この写真はもう家にはなかったので
とても嬉しかったです。
高橋さんは昭和29年生まれ、30年の私と一つ違い。お姉さんは父に可愛がってもらった記憶があるとおっしゃいます。
今は民宿を経営しておられるということで、また伺う約束をしました。
町長さんも廃校を稽古場として使ってはどうか?と提案して下さいました。
若い父がお世話になった町に呼んでいただき、嬉しい時を過ごしました。
その高橋さん姉弟です。
町長さんと教育長さん。
父の教え子の皆さんたちです。
みんなお元気で良かったです。
農家レストラン「エルベ」とってもおいしそうなイタリアンでした。
私は「がまの湯」に宿泊し、そこもとってもおいしい料理が出たのですが
打ち合わせで忙しく、写真を撮れませんでした。名物の鯉の煮つけがおいしかったです。
「どぶろく」も凄くおいしかったのに翌日仕事のため一口しか飲めませんでした。
これは翌日の岩手県江刺市の旅館「ひめかゆ」の窓から撮影しました。
黄色くてぬめりのあるとても体に良さそうなお湯でした。
140年つづく「新茶屋」という有名な料亭に「ささらホール」の館長さんが案内してくれました。
原敬の奥さんが江刺市出身だったそうで、直筆の手紙が飾ってありました。
原敬が座った縁側と眺めた庭。
今年再演する「天使猫」宮澤賢治の半生の話で岩手県のことを調べた時に
原敬の資料も読んだので、ついつい写真を撮ってしまいました。
昼食の鰻。
「ささらホール」の館長さんの高野さん。
毎年文士劇ほ主宰しておられるそうです。同い年でした。
講演の様子です。
飯豊町の講演の様子は写真に失敗して載せられませんでした。
江刺市は昨年夏の公演「あかい壁の家」の時に資料を沢山読んだ、あの蝦夷「アテルイ」の故郷。
大和と蝦夷のハーフ藤原清衡の生まれた場所。
中尊寺に刻まれた石碑の文字を資料で読んだ時に、号泣してしまいました。
歴史書を読んで泣いたのは初めてでした。詳しいことはまた書きます。
遅々として進まぬ復興。
アテルイの悲劇。頼朝の侵攻。戊辰戦争。日露戦争。第二次世界大戦。
原発事故。この三年色々と考えています。
「東北人」の魂を考えています。
山形と岩手続けて講演でした。
おみやげも沢山いただいて、
皆さんありがとうございました。