本当に久しぶりのブログです。

実は色々とありまして…

ええと、私には夢があるんですが、夢をかなえるための大きなチャンスが今年の秋ごろに一度やってきまして、そこから3か月くらい本気で取り組んでいたのですが、結局チャンスをつかむことができませんでした。

ですが、その経験のおかげで、ものすごく大きな視点の変化がありました。

自分への備忘録もかねて、今日はそれをシェアさせていただければと思います。

 

私、その夢を初めて持ったのが2016年の年末・ちょうど今頃だったので、もう6年間も願い続けていることになります。

その間、その夢を叶えることばかり考えて過ごしてきました。

神社やお寺に行って願掛けしてきました。

スピリチュアルなアプローチ(風水や占星術、新月のアファメーション、引き寄せの法則など)も色々試してきました。

そこで得たものは間違いなく私の糧になっています。

たくさんの神様や仏様のご加護を頂いていると感じています。実際に、「この夢に関係しないことなら」、たいていの願いは叶ってきました。運気も上がり、明らかに運がよくなり、直感も以前より冴えてきたと思います。

 

ですが今日、瞑想しているときに気づいたんです。

 

「願い」も「信仰」も、「下にいる自分が上を見上げている」ことが前提になっているのですよね。

つまり、自分はまだ「願わなければならない存在」、「神様や仏様にお願いをしなければならない存在」だったんです。

「自分にはパワーがない」という暗黙の前提があったから「願い」や「信仰」が支えになっていたと思います。

 

瞑想しているときに見えたのは、私がウィーンにいたときによく行っていた教会でした。

その教会で、私はキリストや聖人たちの像が彫られた高い祭壇を見上げてお祈りしていました。

瞑想中、最初はお祈りしている自分の視点で祭壇を見上げていたのですが、ふっとそこから視点が上がって、祭壇を超えて教会の天井も超えて、空高く視点が上がっていったのです。

気づいたら空に浮かんでいて、周りは見渡す限り山と野原でした。はるか向こうに地平線が見えました。

「うわぁ~こんなに遠くまで見渡せる…気持ち良いなぁ…」と素直に思いました。

その時、ふっと「私自身が仏になる」という言葉が浮かんできました。

あ、なるほどと思いました。

上を見上げて救いを求めるのではなく、自分がその視点になる…

天に願いをかけるのではなく今の自分に与えられたものを信じる…

そう思ったその瞬間、「ジャッジしない」という言葉が浮かんできました。

願いをかけるのは、「良い・悪い」や「望ましい・望ましくない」と自分で自分の状況をジャッジしているから。

ジャッジするのは肉体に付随する「心」であって、「魂」はそれが「経験」であるなら良いも悪いも判断しない。ただ経験したいからする。

どんな経験も、夢が叶っても叶わなくても、それは魂にとっての貴重な経験になるのですね。

ジャッジするから「夢が叶わない=望ましくない」と思うのであって、ジャッジしないニュートラルな状態になれば、すべての経験は同じ事。

「仏になる」ってそういうことなのかなぁ。

実は、瞑想で空に浮かんでいる間に思ったことは、「願いも信仰も、あんなに疲れるものだったんだなぁ」ということでした。

私にとって本当に大切な神様や仏様、それは今でも支えになっているけれど、関わり方はもっと軽い感じで良かったなぁ、と。

友達に会いに行くみたいな感じ?(笑)

願いをかなえてください、私にパワーをください、私を導いてください、とずっと神様や仏様に願い続けていたけど、神様や仏様とはもっと気軽な関係というか対等な関係?でよかったのかなぁ?

「すごい人からパワーをもらう」というのはありがたいことですが、その前提に「外から補給してもらわないと私にそのパワーはない」という思い込みがある。

仏さまは自分の中にいるんだよ、とよく言われますが、今回私が思ったのは「仏さまは自分自身」ということでした。

 

私、今回「夢破れる」という経験をしなければ、こんな視点になることはなかったと思います。

今回夢が叶っていたら、おそらく「願い続ければ夢はかなう!」という成功体験になって、これからも色々なことを願い続けたと思います。

夢破れるという経験で、なんというか、一皮むけた?!爆  笑という気持ちになっています(笑)

 

なぜこんなことをブログに書くのかというと、「私自身が仏になる」というテーマが、これからの時代、私だけでなく他のたくさんの人たちのテーマになっていくのではないかな、と直感で思ったからです。

最近、スピリチュアル系ではない人も神社仏閣やパワースポットめぐりをすることが一般的になってきています。

多くの人が目に見えない存在を感じ、そういう存在やエネルギーたちに導かれていると思います。

でも、「導かれる存在」から「自分自身を(そしておこがましいけどもしかしたら周りの人たちも?)導く存在」になるよう視点を変換するというのがこれからのテーマになっていく人がいるのではないかと思います。

アセンションってそういうことなのかな、となんとな~く思いました。

もちろん、私はこれからも神社仏閣やパワースポットに行くと思います。

でも多分これからは、「すごい存在に会いにいくんだ!すごいエネルギーをもらいに行くんだ!」と意気込んで行くのではなく、「友達の家に遊びに行く」みたいな気軽なリフレッシュ感覚で行くと思います。

その方が私にとってずっと楽だと気付きました照れ

今までも楽しかったけど、これからはもっと肩の力を抜いて楽しんでいけたらな~と思います。

 

これが良い変化なのか退化なのか、私にはわかりません(笑)

だって、今の私ったら「神様や仏様にお願いすることも、宇宙にオーダーすることも、開運のために努力することも、なんかもうぜ~んぶ疲れちゃった~」って思っているんです爆  笑

今までの自分なら考えられない!!どうなってるねん私!そんな怠け者でいいのか?!

正直今は「先のことを考えたり、願ったり、期待したりせず、今目の前にあることを楽しもう。必要なものは全部目の前にお出しされるのだから、良いも悪いも考えずに思いっきり味わっていこう」という気持ちです。

単にそういう時期なのかもしれませんニヤリ

なので、これを読んでくださった方に押し付けるつもりは全くないので話半分…いえ、話6分の1くらいでお読みいただければと思います(笑)

 

後で読み返したときに「この時の私はこんなことを考えていたんだなぁ」という備忘録のために。

長文をお読みくださりありがとうございましたラブラブ