デパートの化粧品売り場で、
肌を見てもらったことがあります。
水分量を測ってもらって、
肌の状態を見てもらって、
「少し乾燥してますね」
そう言われました。
たぶん、
美容部員さんは何も悪くありません。
むしろ優しかったです。
言い方も丁寧で、
押し売りっぽさもなくて、
今の肌にはこれが合うかもしれませんね。
そうやって、
ちゃんとアドバイスしてくれました。
でも私は、
その「乾燥してますね」という言葉が、
なぜか少し刺さってしまいました。
肌の話をされているだけなのに、
自分の生活まで見られたような気がしたのです。
肌を見られるのは、少し怖い
顔なら、
まだ表情でごまかせます。
笑うこともできるし、
メイクで整えることもできる。
でも肌は、
もう少し逃げ場がない感じがします。
水分量。
キメ。
毛穴。
くすみ。
ハリ。
乾燥。
そういう言葉で、
自分の顔が分解されていく。
そしてそのたびに、
ああ、
やっぱり足りないんだ。
と思ってしまう。
私の肌は足りていない。
私のケアは足りていない。
私の生活も、
たぶん足りていない。
本当はそんなことまで言われていないのに、
勝手にそこまで受け取っていました。
アドバイスなのに、判決みたいに聞こえた
美容部員さんは、
ただ今の肌に合うものを教えてくれているだけです。
乾燥しているなら保湿。
くすんでいるなら透明感。
ハリがないならエイジングケア。
それは普通の会話です。
でも私の中では、
いつの間にか別のものに変わっていました。
ちゃんとできていませんね。
年齢が出ていますね。
もっと手をかけないとだめですね。
そんなふうに聞こえてしまう。
もちろん、
そんなことは言われていません。
でも、
肌の状態を説明されるだけで、
自分が怠けてきた証拠を突きつけられているような気がしたのです。
買えば少し安心できる
その場で商品をすすめられると、
少しだけ安心します。
これを使えばいいんだ。
これを足せば、
今の状態を少し戻せるんだ。
そう思えるからです。
美容液。
クリーム。
導入液。
アイケア。
シートマスク。
全部が悪いわけではありません。
必要なものもあると思います。
でも私は、
その商品を肌のためだけに見ていたのではない気がします。
不安を落ち着かせるために、
見ていました。
乾燥してますね。
ハリが少し落ちてますね。
年齢的にこのケアを足すといいですね。
そう言われた後の、
ざわついた気持ちを黙らせるために、
何かを買えばいい気がしていたのです。
本当に見たかったのは、成分表ではなかった
前の私は、
その場で必死に成分を見ていました。
セラミド。
レチノール。
ナイアシンアミド。
ビタミンC。
何が効くのか。
どれが必要なのか。
どれなら損しないのか。
そうやって、
正解を探していました。
でも今思うと、
私は成分を見る前に、
自分の反応を見た方がよかったのかもしれません。
なぜ、
乾燥してますね、の一言でこんなに落ち込んだのか。
なぜ、
足りないと言われたような気がしたのか。
なぜ、
商品を買えばこの気持ちが落ち着くと思ったのか。
そこを見ないまま、
また何かを足そうとしていました。
肌は、生活のログだったのかもしれない
肌の状態は、
ただの美容の問題ではないのかもしれません。
寝不足。
疲れ。
ストレス。
緊張。
食事。
呼吸の浅さ。
ずっと続いている気の張り。
そういうものが、
肌に出ていたのかもしれない。
でも私は、
それを肌の欠点として見ていました。
乾燥している。
くすんでいる。
ハリがない。
老けた。
だめだ。
そうやって、
体が出しているサインを、
また自分へのダメ出しに変えていました。
本当は、
肌が責めていたのではなく、
もう少し見てほしいと、
知らせてくれていただけなのかもしれません。
私がそこで知ったのは、化粧品の話ではなかった
あの日、
私が知ったのは、
どの美容液が合うかだけではありませんでした。
私は肌を見られるのが怖い。
足りないと言われるのが怖い。
老いを見つけられるのが怖い。
そして何より、
自分の体や肌の反応を、
すぐに「私がだめだから」に変換してしまう。
そのことでした。
美容は、
自分を整えるためのもののはずです。
でもいつの間にか私は、
美容を通して、
自分を査定していました。
それは、
私が私をちゃんと知らなかった、
ということだったのかもしれません。
肌のことを見ているつもりで、
本当は、
自分が何に反応しているのかを
あまりにも見ていなかった。
気づけてよかった。
或さんに感謝しています。
私が最初に触れた手紙を、
下に置いておきます。