息子の話を聞く限り
過労死レベルの働き方を
していると思った
一月の半分以上は 
タイ以外の国での仕事がある
飛行機での移動に時間も取られる

戻ると仕事は また溜まっている
家でも 移動途中でも
ホテルでも
パソコンと WiFi環境があれば
どこでも 時間関係なく
仕事しているという


こんな事を書いてる時に
タイの 日立造船の過労自殺の
ニュースが流れてきた
息子が話す状況と同じ様な話だ
人を育てないまま 海外へ送り
出来なければ、叱咤する
そりゃあ 追い込まれるよなぁ
息子と重ね合わせてしまう

昨日の夜 
息子にはパワハラの証拠や
時間外労働の記録とかを
残しておくように話した

睡眠時間や休日をしっかり取る事
今は 若いから何とかなっていても
命を縮めている
過労死レベルだよと

なるべく土日は休むようにしてるけど
子供誕生日のお祝いしてても
電話攻撃が続いていたという

転職する事に反対はしないけれど
妻子を食べさせていく道筋だけは
しっかりと見極めるんだよと・・

お嫁ちゃんともよく話は
しているようで 自分より
怒ってくれると言っていたので
少しは安心した
話を聞いてくれる人が
側にいてくれて良かった

昭和の時代もそれなりに
夫の仕事も忙しかったけど
ここまでの事はなかったし
逆に残業規制の流れで
勤務時間は管理されてた
ちゃんとした教育もあったし 
仕事に必要なスキルを身に着けさせ
上のものが下を育てる 
各職場にはそれなりの
つながりがあった
 
お付き合いという名の
飲み会が多くて夜遅くまで
帰って来ない日は多かったけども

会社では出世争いや
パワハラなどはあの時代にもあった

余り 愚痴をこぼさない夫が
一度だけ辞めてもいいかと
言った事があった

その頃 夫は上司の指示に
逆らったことが発端で
今までやった事のない仕事を命じられ
出世コ−スからも外され辛かった
のだと思う

かなり切羽詰まって見えたので
辞めてもいいよと答えた

結局 夫は辞めずに定年まで勤めて
再々就職を経て66歳で
亡くなるまでずっと働いてくれた

それが夫にとって幸せだったか
どうか分からない
寿命を縮めてしまった
要因かもと思ったりもする

ただ 定年後の6年間は楽しく仕事を
していたようにも思えた

今日 夫が夢に久しぶりに出てきた
私が朝寝坊して 
目が覚めると子どもたちは
もう仕事に出かけていない
朝ご飯はどうしたんだろう?
お弁当は?
焦る私に夫が隣で言った
「大丈夫や あの子等は自分達で
 ちゃんとやって行くから 
 そんなに心配しなくていい」
そう言って笑っていた

ホントに 大丈夫かなぁ
でも もう親は無力だからね
私は見守るしかないけれど

いい方向に進めるように
夫にも見守っていてほしい