昨日 姪と話してて 

息子の小さい頃を思い出していた

現在は30を過ぎて

二人の子の親になって

タイに在留して

インドやマレーシアやインドネシア

など飛び回って仕事を

こなしている息子だが

子供の頃は やんちゃだった


親戚中にその武勇伝が

残っているほど(笑)

 

体が大きく力も強くて

同世代の子供とは

同じことをしても

トラブルを起こすことが多く


その頃の私はいつも

誤ってばかりいた

 

赤ちゃんの頃

おもちゃの取り合いでも

力の強い息子が

無理やり奪ったように取られたし

ぶつかっただけでも相手が

転んで泣きだすので

押し倒したと言われた

 

全部の行動を大人が

見ているときならまだいいけど 

他の子ども同士が

ごめんねで済むことも

息子はそういかなかった


大きい子の癖にと言われても

本当の月齢は相手が上だったりした

 

一生懸命こんなことをしてはダメ

もっと力を加減しなさい

と息子に教え込むのだけど 

そこは子供

夢中になると忘れてしまう

 

幼稚園に入ると

毎日のように呼び出され

園長先生に説教を受ける 


もっと家庭でちゃんと教育して下さい

全くお母さんが若いから・・・

なんてことまで

 

息子が幼稚園に入ったころ 

私は26歳で

22歳からの初めての子育て 

しかも実家は遠く


家を建ててしまった所には

知り合いもいないし

友達も居なかった


夫は朝早くに会社に出ると

帰るのは夜中だった

 

なので自分の子育てに

自信は無かったし


私たちは保育のプロなんですよと

迫る園長先生や担任の先生に

反論できるわけもなくひたすら謝った

 

家に帰っても悩んで悩んで泣いていた

でも幼稚園のトラブルを除けば

 

息子は優しい子で

大きくなったら

大きな家を建てて

お母さんにあげるよ


あ母さん雨はね

お空の雲が泣いてるの

ほら涙が落ちてきた

なんて言う


活発だけど自由な

発想をする息子は可愛かった

 

2歳違いの妹ことも 

荒々しさはあったが

一緒に遊んで 

世話を焼き可愛がっていた

 

幼稚園に行くまでは

それ程悩んではいなかった


義母にはうるさい子だと

嫌われたけども

義父や私の実家の両親たちは皆 

面白い子と可愛がってくれた

 

幼稚園に行くようになれば

息子にも友達が出来るし


私もママ友が出来るかも

そう期待していたのに

いつも園長先生に怒られてる

親子は遠巻きに避けられた

 

ある日いつものように呼び出され

園長先生に叱られる私

それを見ていた息子が

「お母さんごめんね」とあやまった

すると園長先生が

「お母さん虐待をしていますね?

 こんな小さな子が自分から謝るなんて

 虐待されてるとしか思えません」

 

えっ なんで謝ったら虐待なの?

息子は泣いている私を見て

自分のせいで怒られてるんだと

分かって謝ったのだと思う

 

一生懸命子育てをしてきたけど

その結果 保育のプロである

園長先生にそう言われると

張り詰めた糸を切られたように

気持ちが落ちてしまった

 

どうやって家に帰ったのか

その後の記憶はないのけど

家に帰っても 虐待 の言葉が

頭から離れず

涙が止まらず 

泣いて 

泣いて 

そうするうちに

過呼吸を起こして

息が出来なくなってしまった

 

どうしよう子供たちの面倒が見れない

誰か 誰か助けて

夫に連絡しても帰ってくるのには

2時間はかかる

どうしよう・・・

 

ふと 長兄嫁の義姉が

この近くの老人ホームに

勤めていることを思い出した

何とか電話して

「お義姉さん 助けて 息が出来ない」

びっくりした義姉は車を飛ばして

すぐ来てくれた

 

そして知り合いの病院に

連れて行ってくれた

そこは子供たちがお世話に

なっている小児科内科で


医師に

「病気じゃないんです 

 精神的な物だってわかっているけど

 息が出来ないんです」

と何とか説明した


精神安定剤みたいなものを

点滴してもらい

何とか症状は落ち着いた

 

その後 医師や義姉に 

事情を話したのか

夫はいつ帰ってきたのか 

子供たちはどうしたのか

その日の記憶がまったくない

 

たぶん医師や義姉や夫に励まされて

少しは元気になれたのだと思う 

たぶん…

 

夫も幼稚園にも直接

行ってくれたのだと思う


お母さんが感情的でいけないと

園長先生言われたみたいで 

腹を立てた夫が自分の実家に

相談したりしたものだから

義父がこちらの幼稚園にいれたらいい

都会よりのびのび育てられる

なんて言い出し

それを聞いて慌てた義母が

「父子を離しちゃいけない

家族は一緒に居なくちゃね」

と電話してきてびっくりした

 

そちらに行くつもりは

全くないですけど?

でも少しは心配してくれても

いいんじゃない?

ああそうだ 年寄りをあてにしないで 

そう前に言われたんでしたね

 

話は前後するが


娘が一歳になったころ

三人目の妊娠が分かった

実は娘を出産した時 

弛緩出血で死にそうになった

生まれた娘にも 

一晩会わせてもらえなかった

その時の医師に三人めは

あきらめた方がいい

次は本当に死んじゃうよと言われた

しっかり避妊していたはずなのに

妊娠してしまった

 

おまけに私は悪阻がひどく

安定期に入るまで

ほとんど物が食べられず

息子の時は 入院したし 

娘の時は通院で

点滴を受け何とか

安定期まで乗り切った

 

何度も切迫流産や

切迫早産になって

出産するまで 

ほんとに大変だった

あまり妊娠に向かない体質らしい

 

医師に相談してもやはり

難しいでしょうね

と言われて手術することになった


同時に避妊手術も受けることにした

その頃は 産婦人科が

足りなくて病室も満室で

避妊手術と堕胎をしても

一日しか入院出来ないと言われた

本当は一週間は

入院するのが普通らしい

 

子供たちをどうしよう?

 

夫が

「仕事を一週間休むよ それと

田舎なの両親に来てもらおうと言う」


嫌な予感しかしなかったが

夫が休んでくれるなら大丈夫かな?

そう思って手術を受けた

 

子ども達がいるので

誰も来れず一人での入院手術

心細かったが 

仕方がない

そう思って耐えた


手術後の夜は

殺してしまった赤ちゃんを思い

涙が止まらなかった

産んであげられずごめんね…

 

その晩は体に付けられた

点滴や尿道の管等で

身動きが取れなかった

のどが灼けるよう乾くけど

置かれた水差しには

手が届かず飲むことはできなかった

みじめで悲しくて

一晩中眠ることは出来なかった

 

翌日 退院すると

主人が今から仕事に行くと言う

話が違うじゃん 

休んでくれるって言ってたのに

「御袋が居るから大丈夫だろ?」

そう言って出かけてしまった

 

夫が居なくなると

すぐ義母が娘のおむつを替えろと言う

娘が嫌がって大人しく

替えさせてくれず

自分の手にうんちが付いたんだと怒る

「すみません…」

痛む傷を堪えながらおむつ替えをした

 

病院からは

「本当は一週間ぐらい

入院してもらうのが普通なんだけど

病室があかなくてごめんなさいね 

 傷が開かないように

家に帰っても安静にしててね」

と言われてた

 

なのに義母は

夫が用意してくれてた布団も

「もうこれは片づけていいわね」

とたたんでしまってしまった

 

痛いお腹を我慢しながら座って

義母のどうでもいい話を

聞く羽目になった

 

夕食時になると

「他人の台所で何を

作ったらいいか分からない

 から あなたが作って」

と言いだした


仕方なくフラフラと台所に行き

大人4人分と子供たちの夕食を作った

 

夫が帰宅する頃には

もう怒る気力も

夫に話す体力も

残っていなかった


なので夫は義母が手厚く私の面倒を

見てくれてるものと思い込んでいた


料理も私が作りたくて

作っていると思っていた

 

そうして2週間たった頃 

もうさすがに

限界だと思った私は 

夫に出血で真っ赤に染まった

トイレを見せて言った

「二週間 ずっと私はこんな状態なの 

もう限界 このままだときっと私死ぬよ?」

 

今までの事を全部話した 

昼間に体を休ませて

もらっていないことも

 

びっくりした夫はすぐに両親に

田舎に帰ってもらうよう話した

 

そろそろこちらの生活に

飽き飽きしていた両親は

喜んで帰っていった

 

その時 別れ際に義母が言った言葉が

「お母さんは元気でいて

 貰わないと困る

 私たち年寄りをあてにされてもねえ」

だった

 

夫は 他の兄弟も子育てで

色々助けてもらっていたし

自分も今回ぐらいは頼っていいかと

思ったと言った

 

甘い!

もう二度とあてにするなあ~!!

叫びたいのを堪えた

まあ二人で頑張っていくしかないよね

 

ちなみに 私の実家の母は 

その年 喘息が

ひどく どうしても

来てもらうことが出来なかった

 

この話はずいぶん後まで

話さなかったので

初めて話した時 無理してでも

行けばよかったと泣いていた

 

この次の年 三男の嫁が

子宮筋腫の手術を受けて入院した

義母は 息子と孫娘のため

しっかりと世話を焼いていた

時々 私も呼びつけられ

手伝わされたりした


結局 義母の中では

私の世話もしっかりしてやったという

認識なのだろう

 

ずいぶん 経ってからの事だが

「あなたは年の若い嫁だったから 

 いつか男作って逃げると思っていたわ」

と義母に言われた そんなに離婚して欲しかったのかな

 

そうすれば良かったかな?

夫に言うと苦笑いして

「しょうがないばあさんだな」と

これも最近夫にした話

義母に対するコンプレックスが

解けた夫との会話

 

息子の話からずれてしまった

ネタが抱負過ぎて文字にすると

我ながらすごいなと

思って笑ってしまった

 

でもね

作り話ではなく事実なんです

私は蛇年だからか

忘れられない性質なので

全部忘れてしまった義母が羨ましい

まあ今更 恨みもないけど

嫁として今は優しくできるけど

忘れることはないかな(笑)

 

息子の話の続きは 

またそのうちに