地元のみんな、とても辛い津波の経験をしていて、それを文章に残していて、偉いなぁって思ったアップ絶対辛いよ、文章に残すのショック!でも、忘れてはいけない、そう思うから記録してくれてるんだよねメモ



 私も色々と家庭崩壊とか辛い思いもしたけど、そういうのを文章とかに書くのをずっと逃げてた・・・だって書いても、見た人が反応に困るとかって思っちゃうからねダウン



 とりあえず、父が白血病で死ぬまでの間、闘病記なるものが本当に役に立ったから、私も書いていこうと思うメモもう3年も前の話だし、頭が思い出さないようにしているから、あんまり記憶が曖昧なんだけどねガーン



 初回は、父が死ぬ前日に言っていた言葉だけひらめき電球



ウチの娘は、みんな明るくていいなぁ(´∀`)



 肺炎で、酸素マスクの左右に袋見たいなものを付けても、血中酸素濃度が上がらず、もう永くない人が入る綺麗な個室の中でドア苦痛を和らげるためのモルヒネで頭がおかしくなってて、死ぬ前夜まで「食べれば元気になれる」と信じて病院の食事を残さず食べて・・・



 その後に、あの言葉を言っていた。だから私は、明るさを失わないようにしなきゃって、時には落ち込むこともあるけれど、明るくいようって思う晴れ



 翌朝、立ち会いはしなかったけど、父は息ができなくなって、布団をはいで、尿をもらして、白目をむいて、そして、ゆっくりと静かに眠っていった。


 私が仙台からかけつけたときは、親戚にかこまれ、病院の服じゃなくて、Gパンとかはいて、冷たくなっていた。体にいっぱいついていた生命維持装置も全部なくなってて、すっきりして見えた。私は涙すら出なかった。



 退院中に衛星を見せてあげれたのは、喜んでくれただろうか。居合わせたダーリンをとても気に入ってくれてたっけな。母がおかしくなって暴言吐きまくってるとき、逃げ場のない父に手紙を送った。看護婦さんの協力を得て、母のいないところで渡してもらったが、読んでくれただろうか。少しでも、心が救われてくれただろうか。



 そのあと、バラバラと崩れた人間関係、未だに修復できていない。父の偉大さを、私達はまだ埋めきれていない。




 次回からはちゃんと、発病から~で書いていこうと思う。涙止まんない~無理かも~しょぼん




       日々邁進