出会って2年で結婚を決めた夫と

今日で19年目の記念日を迎えました。

←多分数え方は間違ってないはず。笑

 

 

image

 


 

    

***

こんにちは、小林恵梨子です。
お手持ちの服でのコーディネート提案が

スマホに届くファッションサービス

ミニスタ®」を運営中です。
 

忙しいあなたに代わって
周りからの評価がアップする
トータルコーディネートをご提案します。

***

 

 
結婚なんて遠いことだと
思っていたのに
夫のアメリカへの駐在を機に
そんな話に急展開したのは遠い昔。。。
どのくらい昔かというとスマホもなく
国際電話はBBフォン?だったかな
ダイヤルインで電話するそんな時代でした。
 
 
結婚し渡米した後私は大学院へ。
えぇ。。。
当時とてもチャレンジしたかったんです。
周りの駐妻の奥様たちは
コーヒーモーニングや
ゴルフにテニス三昧だったのに。
 
 
当時私にはその先の「目標」があって
その手段としての学位取得。
勉強が好きとかでは決してなく
授業で発言しないと参加しているとは
みなされないアメリカでの学生生活は
純ジャパの私にはキビシかった。。。
期限付きの駐在期間中に卒業する
プレッシャーもボディーブロウばり。
レポートをこなすのも大変で
夫に参考資料を読んでもらい
要約の手伝いをしてもらったことも。笑
そしてそんな彼は当たり前のように
決して安くはない私の学費を
払ってもくれました。
 
 
そのおかげで帰国後は子どもの頃の
夢だった業界での仕事を
手に入れることができました。
正規ではなくコンサルタントという
入り方ではありましたが
任せてもらえる業務内容や直属の上司
そして海外の拠点にいるチームにも
恵まれて充実した社会人時代。
 
 
その後同じ業界で別の組織に転職したのですが
やはり相談に乗ってくれたのは夫。
2つのオファーを頂きどちらを選ぶかの
ProCon(メリデメ)リストを
一緒に作ったのを覚えています。
 
 
なんかもうこの時点で夫というより
チーム感が強い。。。


その後私は7年待った子どもを授かるのですが
担当しているプロジェクトがタフ目な国への
出張が当たり前というものでして。
早い時期に妊娠を自分で確信した後も
夫に内緒で海外出張をこなした
過去があります。
仕事が一段落しクリニックで妊娠を確認
その時頂いたエコー写真とともに夫に報告。
彼の目は潤んでいました。
 
 
同じタイミングでシンガポールへの
駐在が決まり引っ越し作業を終えた日に
なんと私が出血。
早産の危険があるとドクターに伝えられます。
そして始まったホテルでの作戦会議。
 
 
家も引き払った後なので同じドクターに
出産まで見てもらうのは難しそう。
私の実家に帰るにもイチからの産院探しは
難航しそう。
(その前に激しい腹痛があった際に
病院をたらい回しにされた経験あり。)
シンガポールへは事前に家探しに行っていて
信頼できそうなドクターを見つけている。
そのシンガポール人のドクターに
画像などを見せながら相談したところ
初産でフライト中に早産してしまう確率は低い
シンガポールは小さな国だから病院も近い
なんなら空港に救急車待機させておくよ
という心強い言葉を受け
また2人で相談し調べてもみた結果
一緒にフライトへ乗り込む選択を。
(後期だったのでフライトに乗れるギリギリの
タイミングでもありました。)
 
 
その後私は選んで自宅出産。
当然全てのプロセスに付き合わされる夫。
シンガポールは華僑の方も多く
また出産ギリギリまで
仕事をしている女性が多いため
計画出産が多くしかも無痛分娩が主流です。
それなのに。。。


image
当時の胎児がバニラアイスの残りの卵白を使ってメレンゲ作るとは。


その後は私が2011年の震災後の
ボランティアで被災地に飛んだり
スタイリングの仕事に加えて
バングラデシュでの仕事を始めたりと
小さな子どもがいながらも
好きなことをやらせてもらいました。
 
 
いや、好きなことではあるのですが
どちらかというと自分が使命を感じたこと
という表現が合っていると思います。
 
 
もちろん夫はイエスマンではなく
ここまで書いた全ての事柄について
話し合い
落とし所を考え
そしてどうやったら実現できるかを
一緒に考えてくれたパートナーです。
 
 
結婚後ずっと義理の両親とも離れており
私が妊娠するまで一度も
孫プレッシャーもなくそして
その後のたまの一時帰国には孫の面倒を
みてくれたりとフルサポートを
してくれましたがある時不穏な空気に。
 
 
それは夫の帰国が決まったものの
私たちは相談の上私と娘で
シンガポールに残るという
決断をした時のこと。
 
 
私も当時真剣に考え
フリーランスから法人を設立
ビザも取得し子どもと残るのに
問題はないはず。
でもやはり言われました。
 
 
「○○のために一緒に日本に
帰ってやってほしい。」
 
 
みなさんならどうしますか。
 

私の周りにはお子さんの
進学のためにママが先に
帰国したケースや
国内でも家も学校もあるご家族で
パパが単身赴任したケース
それに日本にパパを残して
母子で留学したケースなどがあり
私(たち)の中では別居は
それぞれの家族メンバーが
より良い人生の選択をするための
ベストアンサーだったんです。

 

別居=家族の自立
 
 
 
実の両親に対し夫は理路整然と
私たちの選択の背景を説明し
納得してもらえていたかは不明ですが
結局応援を取り付けたのは見事でした。
 
 
実際に私たちの不在中に
時々実家に通っては親孝行をしに
帰っていたようですし。
お互いが納得すれば
平和的な交渉が実を結ぶのだと思います。
 

結婚するまでは親との会話も少なく
私が電話で無理やり代わるから
話しをしていた状態から
子どもが生まれ
ビデオチャットを自らするように。
 
 
一人暮らしを経験した夫は
誇らしげにこれまで全くやらなかった
簡単な料理を私たちに自慢し
毎月のようにシンガポールに戻って
きてくれていました。
時々私たちが帰国すると
簡単な掃除や洗濯をやっている姿に
娘と2人で驚いたものです。


その後私たちも本帰国し
今に至りますが
去年は急遽決まった
子どもの中学受験に
朝起きる時間を早めて
一緒に勉強するなど
フルサポートを厭わないなど
むっちゃ良きパパ。
 
 
妻のやりたいことを応援する
むっちゃ良き夫。
身長も高く顔も悪くない。
酒は飲まず趣味はスポーツと読書。
エトセトラ、エトセトラ。
 
 
そんな夫に小言を言う私。
夫もそうだと思うけど
もはやトキメキはない。
もう苦笑いしかない!
結婚記念日に毎年花をくれたり
スイーツでお祝いしたり
カードをくれたり。
 
 
image
 
 
嬉しいけど
ほんとにむっちゃ嬉しいけど
胸キュンできずゴメンナサイ!爆
 
 
でもだからこそ。
人生の半分近くを一緒に過ごし
思うのは。

 
チームメイト最強説。
 
 

お互いを見つめ合わず

それぞれが好きなことをし

得意分野で家庭というものをまわし

時々降りかかるタスクには

チームメイトとして前進する。

 

 

親としてはベストを尽くし

子どもの前では不満は言わない。
(努力をする。)

 


夫と子どもの喧嘩はスルーが鉄則

(仲裁やヘルプを求めてきた時は別)

親と子どもの関係性はそれぞれが

各自責任を担う。

 

 

収入の格差に関わらず

家庭内や個人の欲しいものは
相談せずに購入を決める。
←私

 

 

でも日々家族が心地よく

快適に便利に暮らせることには

気を配る。

最低限の家族ルールを守れたら

たまに小言は言っても

大事(オオゴト)にはしない。

 

 

そんなこんなで夫婦になって19年。
家族になって12年。

 

 

今朝特に何も言わなかった夫は

私が午前中出かけている間に

娘を使者にブーケとケーキを準備。

私は覚えてないならと

手抜き予定のディナーメニューだった

USグラスフェッドの赤身肉のミンチの

ボロネーゼのミッレリーゲ
(筒状の太めペンネ)をランチに準備し

夜は彼らの好物の霜降りステーキと

新じゃがの付け合せ。

今日も朝食から3食フルで準備したわw

 

 

長くなってしまいましたが

今日のまとめはというと。

 

 

①相手に期待するな遠慮するな
=我が道をすすめ

②チームメイト最強説

③相手の善意に自然に反応できる自分を褒めよ

 

 

どなたかのお役に立てれば幸いです。


May the (twenty) force be with you!
 

 

 

小林恵梨子によるトータルスタイリングや

コーディネート提案メニューは公式ラインよりお申し込みください。

 
 

「私もお客様にコーディネート提案したい!」と思われたファッション関係のスタイリストさん、スタイリストさん向け公式ラインよりお問い合わせください。

 

 

 

 

 

質問受付中

あなたのファッションのお悩みに

ブログ内で無料でお答えします。

 

公式ラインお問い合わせフォームより

お気軽にどうぞ!

 

にほんブログ村 ファッションブログへ

にほんブログ村 ファッションブログ パーソナルスタイリストへ