思い起こせば、私は幼少期から
今で言う、とても敏感な子供
(Highly Sensitive Child)
だったように思います。
すごく気が小さくて、些細なことにさえ思考を巡らし、始終気を張っていました。
父が、機嫌が悪いと突然大きな声を出す人だったため、いつ、その大声が出るかわからない。その地雷を察知すると、心臓がバクバクする。地雷を察知する能力は無意識に身につきました。
相手が自分のことをどう思っているか、感じているか、ということに初めて意識が向いたのは、古い記憶では、、2〜3歳前半位かな?
当日、声は大きいけれど、理由なく父が好きだった私は、「好き!」という感情をそのまま父に伝えたくて、食後はいつも、父の膝を占領し、好き好き攻撃。ある日、いつものように膝の上に乗り込み、好き、を表現した瞬間、手で払われ、何か空気が凍ることを言われたのです。何を言われたか詳細は覚えていないけれど、食卓の空気が凍りついたのと、辱めを受けた感じ、恥ずかしくて、でも笑ってやり過ごすしかない泣きたくなるような気持ち、だけが残っていました。
自分の気持ちをストレートに表現したことが相手には迷惑なことがある、そしてそれはその場の空気感も乱す、ということを知り、自分をとても恥じた私は、それ以来、自分の本心、ストレートな感情を隠すようになりました。
自分の本音を出すよりも、人が感じていることや場の空気感をマイナスに持っていかないことを優先することに舵をきったのです。
人の機嫌をとることは、自分のことをもっとよく思われたいと感じ、それに沿った行動をすることです。
本当の自分を出すことより、相手の自分に対する評価を変えようとすることに、エネルギーを注いでしまう。
そうすると、どうなるのか。。
自分自身でいることができません。
思っていないことをあたかも、思っているかのようなフリをしたり、自分以外の何かであるようにふるまってしまう。
本当は怒っているのに、偽りの笑顔を作ったり。参加したくないのに、誘われると参加したい、と言ったり。わざわざ、充実した時間をすごしている写真を選んで、SNS、インスタグラムに投稿しているとき。私たちは孤独です。
実際の自分と、ほかの人にこういう人だと思ってほしい自分との間のギャップを埋めるために、いつもふりをしています。
心が満たされないのは、本音を言わず、自分を偽っているから。そこに真実はないから。
では、真実は?
自分に偽りない、一部の自分を全ての自分としない状態。本音を出せている自分。
全ては難しい。でも、前よりも少しずつ、偽りない自分、本音の自分を出せてきていると実感していくと、自分全部、で生きている体感を得らことができます。そうすると、自分の内側から、強いエネルギーが湧いてくる。とても満たされるのです。
本当のところはどうなの?
自分だけでなく、セッションをした方にもこれを大切にしてほしいな、と思っているのも、ここを体感してもらいたい、があるから。
私もまだまだ道半ば。こらからも、ここ↑に向き合いながら、進んで行きたいな😊