フィールド・ダイアリー -8ページ目

フィールド・ダイアリー

~カンボジア、ミャンマー(ビルマ)難民キャンプ、アフガニスタン~ 


今日、幼い命が静かに眠りについたと連絡がありました。


私たちが追い続けていた新難民の子どもの一人。


マラリアにかかって、死んでしまいました。


マラリアは早期発見であれば、よっぽどの事がなければ命を落とすことはありません。


年中マラリアの地域では、マラリアを避ける特効薬はありません。


ひたすら、予防するしかないのです。


観光客が虫よけをまんべんなく体にぬり、


トレッキングやカヌーに楽しみにやってくる観光地域。


住むところもままならない子どもたちにとっては、


未だにマラリアでさえ命を落とす、


厳しい自然との戦いです。



ここ数カ月、


支援の網からもれてしまった177人の子どもたちを


追ってきた私たちにとって、


食い止められたはずの、


幼い命を失ったことは大きな衝撃でした。



これだけ援助が溢れていながら、


たった一人の命を救えないのはなぜでしょう。


国連は、受け入れ政府が認めない、と言いました。


同じ支援ばかりが国際NGOから届きました。


親や親族は、捕まるのが怖くて自分たちの境遇を訴えることができませんでした。


信仰を貫く為に、宗教者たちは援助に頼るなと教えました。


誰かがいいました。


「毎日の事です。」



いつかこの世界が真剣にたった一人のこの子どもに、


目を向ける日が来るのでしょうか。



10日に分の食料を届けた時の、


子どもたちの笑顔が忘れられません。





停電!雷


大雨、雷がしずまったと思ったら、停電。



20時過ぎの事務所は真っ暗。



アフガンに比べたら、10分ほどで回復する停電はなんてことはない。



日本に比べたら、意外と頻繁に停電するメーソット。



電気に慣れきった生活の中で、突然真っ暗になるとあせってしまいます。



以前は、停電になっても平気で仕事を続ける私を、



同僚が恐れていましたが。えっ



窓のない会議室で、書類を思いっきり広げて仕事をしていたので、



コンピューターの光でかろうじて、ドアまでたどり着きました。



スタッフに電話をして、懐中電灯を探し出し、



仕方なく、帰り支度を始めていると、



電気が、戻ってきました。ひらめき電球





明日の会議の事を考えると、気が重くなります。



また、ひとつ、解決の糸口が見えそうで、見えない、難民問題。



数か月前に、ビルマから逃げてきた103名の子どもたち。



ビルマ側に返したいタイ政府。



ビルマ側に帰る場所がない子どもたち。



安全なタイ側に残りたい子どもたち。



子どもたちを助けたいある外国人家族。


「私たちは、祈ります。何があっても子どもたちは守ります。」



その思いはわからなくないが、



気付けば、これだけ援助機関がいながらも、



ブラックゾーンにすぽっとはまってしまったように、



子どもたちは、何の援助も受けていない状態のまま、数か月が過ぎていきます。



毎週のように体調を崩す子どもたち。



私たちが、やらなければいけないことは、簡単にできるようで、


国、国境、法律、制度、


様々なことが絡みあって、結局は何もできないでいる状態。




私は、この世界で働く中で、こういった矛盾に突き当たるのが、



一番へこむときです。







「同じ地域での同じ活動は認められません。」


「教育分野から環境分野に移行するなら、わかりますが・・。」


難民キャンプが25年と長期化する中で、私たちの活動は10年になります。


祖国へ帰還の目途は立たないまま、第3国へと定住していく人々。


「子どもたちのためには、仕方がありません。」


とつぶやく。


「キャンプの支援は行き通っているから・・」


そんな風に言われ続け、


注目もないまま25年。


気付けば、キャンプの学校を卒業した若者には、卒業資格もなく、


先が見えない人々は、子どもを学校に送るのを止めていました。



人は、食べること、寝る場所、着るもの、それだけ生きていけるのでしょうか。


難民というだけで、数十年に渡って、牢獄のような暮らしを強いられていいのでしょうか。


私たちは、時に笑いを、


子どもたちには様々な世界への扉を、


外の世界を、


知識を、


祖国を忘れない思いを、


祖国を知らない子どもたちへ、祖国に触れる機会を、


そんな場を提供したい、と


開設した小さな図書館。



何度も読みこまれた本。


若者が言います。


「この図書館の本は全部読んだ。新しい本を待っているんだ。」



そんな難民たちへの支援を継続していかなければいけない、


それを伝える難しさを感じた一日でした。