呼ぶより誹れ
実家に居たころ、祖母を探すとき、決まって母が言った。
「お義母さん?どこ行ったかしら。あなた知らない?『呼ぶより誹れ』って言うから、悪口聞かせりゃ出てくるかしら?」
すると、必ずどこからか、
「何か言ったかしら?」と祖母がすっっと現れた。
まるで、呪文によって呼び出されたランプの精のように。
「あら、お義母さん!良かったわ!」
母は頓狂な声を上げて誤魔化した。
幼い頃、私は『そしれ』の意味を知らず、音階のソシレ(レは高いレ)だと思い、リコーダーで吹いてみて首を傾げていた。
そのときは、『そしれ』は祖母を呼び出す魔法の呪文だと思った。
GWの谷間に平日があり、出勤した。
世の中はこの平日も休みにするところもあるらしく、電車の中は陽気なレジャー客と、案外混雑した車内にうんざりした通勤客とで朝からごった返していた。
私は長いベンチ席に座り、手元の文庫本に目を落としていた。
私の隣に1泊だか2泊ようだかのボストンバッグを持ったおばさんが座った。平日なのでここは女性専用車両だ。
次の駅に着くとおばさんの前に似たような格好をしたおばさんがつり革に捕まった。
「Kさんは?」
「ホームに居なかった」
「え?じゃ遅れたの?」
「そうよ。遅れたのよ。あの人。」
二人で眉をひそめ、ぐすぐすと話していた。
また次の駅でおばさんが二人乗車してきた。この二人も一派らしい。ボストンバッグを網棚に乗せるのに大騒ぎをした。
挙句に私の前にさっきのを含めておばさんが三人並んでつり革に捕まる。
挨拶もそこそこに、Kさんの話しを始めた。
中に一人声の耳障りな人が居て、聞かなくても嫌でも話しを聞かされた。
「え?最後で待ち合わせしたんじゃ?」
最後というのは、最後尾車両のことだろう。
「私、言ったわよ。女性専用車だって」
「ああじゃ、わかってたのね」
「電話は?何かきいてないの?」
「ああ・・」
一人が携帯電話を持ち出して、耳障りな操作音もそのままに
「私、これの使い方よくわからないのよ」
「ああ、あたしも」
「そうなの。私も・・・・以下同じの会話とともに一通りの話しがあり、結局、こちらから電話をかけることになったらしい。
「あら。嫌だ。電源切ってるわ。出られません。録音だわ」
「電源切ってるって。役に立たないわねKさん」
「電話に出ることができませんって」
口々にKさんの非常識を唱えた。
電話に出ることができませんってメッセージは少なくとも『電源を切った』ときには流れなかった気がするが。
BZZZZ・・・
そのとき、車内でもどこかでマナーモードの音がした。
「あら?あなた?私は着メロよ」
「あたしだって音消してないわ」
「誰?失礼ね」
マナーモードが普通でしょう。失礼はあんた達。
えーかげんせいよ、と思いながら、熱心なあまり、頭の上を飛び交うクレッシェンドな会話の飛沫を浴びた。
「だいたいさ、どうして社長が私達とあの人をくっつけたのよ」
「旅行行ってゆっくり話してこいって、Kさんと何を話すのよ?」
「仕事よね?これ、仕事よね?Kさんの面倒を見るんだから、仕事よね?」
「あの人、電車一人で乗れない、電話もできない」
「仕事だってさ、できてないから、困るんじゃない」
「あんな人、押しつけられて、困るわ」
その時、最初の人の携帯電話が鳴った。
PPP・・・
「あら。Kさんからメール。電話に出ないで、メールよこしたわ」
「失礼しちゃうわ」
「電車乗ったって。間に合ったって」
「嘘言わないでよ。居なかったじゃない。」
「電車乗ったって嘘よ」
「今どこ?ってメールして」
一人が嘘を暴くのだと大げさにアリバイ証明を求めた。
この人はさっき、マナーモードが失礼だと騒いだおばさんだった。
「Kさん待っていたら、小田急線間に合わないでしょ?指定席よ」
「間に合わないの?」
「遅れたんだから、間に合わないに決まっているでしょう」
「いい年して。電車にも乗れないの?」
そのうち、やや垢抜けた格好をしたおばさんが混雑する電車の中だというのに、周囲を押しのけて腰に手を当てて高らかに言い放った。
「あたしは、三越にお勤めしていたから、電車は大丈夫なのよ。どこをどうすればいいか、全部分かっているわ」
「あら、Mさん、凄いわね。電車、増えたでしょ?分かる?」
「ええ。ええ。子どもができるまではずっと通っていたから」
ますます、誇らしげにふんぞり返るおばさんは、・・・50代半ばであろうか?
あなたの子どもってもう30代じゃありませんか?
「アタシは、オツトメしてたから・・・」
今はパート先のメンバーでご旅行のようだが、おばさんのお勤めとは30年前のデパート勤務を指すらしい。
勤めに『御』をつける過去の栄光なのかもしれない。
個人的な考えだが、勤務先や仕事の内容なぞ所詮、その場限りのものだ。
昔、三越デパートに勤務していたとしても、それがその人と自分の関係にどんな影響があるのだ。
今でも社内販売価格で何かが安く手に入るとしても、自分には関わりのないことだ。
特に男性に多い「過去、○○という会社に居た」というのと変わらないが、やっかいだと感じるのは、今の職場をガン無視しているところだ。
今の仕事は仕事ではないのか?
私には、理解し難い手強いおばさんに思えた。
きっとこの人達の中に居たら、私もKさんのようかもしれない。
PPP・・・