父は「殺せ」とよく言っておられるので「誰も殺してはいけない」という考えは勝手な考えサタンでしょう
「殺してはいけない」とあるが死刑はあるので
しかしそこにイエス様が遣わされ、「罪人を殺してもいいのは全き者だけ」と言い渡した(父としての預言で言っても良さそうなものだが)
完全に清くなければ自分が殺されたり子孫に渡って懲らしめ続け、問い続けられるということだ
そして、戦争などの緊急時には神の霊(聖霊?)が宿って正当防衛的に敵を処刑し勝たせるということが、旧約で示されている
全ては父が御自分の意思を私たちに示すためのシナリオであり、殺されたのも「自分」、殺したのも「自分」という悲劇でしかない
しかし私たちは今生きていることを喜び続けないと(聖霊でいないと)父の心がわからなくなり、生きる意味もわからなくなってしまう
神の霊(聖霊?)は旧約時代にもイスラエル民族に限ってはあったのではないか?
他民族になかったというだけで
そしてイエス様によって他民族にも与えられたというだけのことなのではないか?