この世は大まかに決められているから運命は変えられる余地があるんだという考えには疑問を感じる
(五島氏によって確かに考えは変わりましたが)
過去が少しでも違えば生まれてくるはずだった人さえ生まれてこなかったりすることが起こるわけですからこの理論はありえないでしょう
祈りによって神が予言の罰を実行するのをやめてくださったことが聖書に書かれてありますが、それも初めから決まっていたことと考えられます
自由意志的考えは悪を成長させる
現に私も成長させられました
よく考えたら「傲慢」ですよね
しかしその傲慢の肥大も人の心の中のどんな小さな考えでさえも、あらかじめ計画されているものなわけです
「変える」んじゃなくて「変えていただけるようにお願いする」
全ての行動は決められていることですが、祈りが届くことがあるということは、祈っているということ自体が、いい方向へ向かっているということの直接的な表れ、兆きざしと見れることになりますね!
祈りが必ず届くというわけではありませんが
聖書予言や占星術は大まか
五島氏が大まかと言っておられるのが聖書予言のことなら間違いではない