ヨハネによる福音書 / 15章 13節
友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
「友」とは聖霊のこと
悪霊に尽くさないように
「自分の命」とは、個人的な命つまり肉的な命つまり悪霊のこと
前に「死ねと言っているようなもの」と書きましたが、それは極論だったかもしれない
「友」とは聖霊のこと
悪霊に尽くさないように
「自分の命」とは、個人的な命つまり肉的な命つまり悪霊のこと
前に「死ねと言っているようなもの」と書きましたが、それは極論だったかもしれない
マタイによる福音書 / 10章 39節
自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」
「自分の命を得ようとする」=悪霊による保身
「わたしのために命を失う」=実際の命も含まれるかもしれないが悪霊のことでしょう
「それを得る」=聖霊を得る
信じて心を開くと聖霊を得ると
「自分の命を得ようとする」=悪霊による保身
「わたしのために命を失う」=実際の命も含まれるかもしれないが悪霊のことでしょう
「それを得る」=聖霊を得る
信じて心を開くと聖霊を得ると
マタイによる福音書 / 16章 25節
自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。
マタイによる福音書 / 16章 26節
人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。
マタイによる福音書 / 19章 17節
イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」
イエス様は完全に良い存在ではない
父だけが完全な善
イエス様は完全に良い存在ではない
父だけが完全な善
マタイによる福音書 / 19章 29節
わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。
「父母を敬え」と十戒にあるので、誤解してはならない
子供や畑を捨ててどうするのかということになりますから
これは、「頼らない」「執着しない」という意味でしょう
「父母を敬え」と十戒にあるので、誤解してはならない
子供や畑を捨ててどうするのかということになりますから
これは、「頼らない」「執着しない」という意味でしょう
マタイによる福音書 / 20章 28節
人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」
マルコによる福音書 / 8章 36節
人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。
マルコによる福音書 / 8章 37節
自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。
ルカによる福音書 / 21章 19節
忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」
ルカによる福音書 / 18章 19節
イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。
ここではイエス様は「神」ではなく「神の子」という言葉の定義になっている
聖書内に違う定義があるのだからややこしい;
ここではイエス様は「神」ではなく「神の子」という言葉の定義になっている
聖書内に違う定義があるのだからややこしい;
ルカによる福音書 / 18章 20節
『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」
ルカによる福音書 / 18章 30節
この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。」
ヨハネによる福音書 / 5章 24節
はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。
ヨハネによる福音書 / 6章 63節
命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。
ヨハネによる福音書 / 12章 25節
自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。
動物的な憎しみを持つという意味ではない
むしろ個人的な命、肉の命、悪霊を憎むということなので動物的な憎しみを持たないという意味になる
牧師はここを誤解しているかもしれない
動物的な憎しみを持つという意味ではない
むしろ個人的な命、肉の命、悪霊を憎むということなので動物的な憎しみを持たないという意味になる
牧師はここを誤解しているかもしれない