旧約にもし「敵を憎め」という言葉があるのなら、その場合の敵とは「悪霊」のことでしょう。
「敵を愛せ」というのは、広く神の意志を発信し続けろという意味でしょう。
攻めて来られたら戦うしかなくなるので。
戦争は「浪費」ではないでしょうか。
旧約にはイスラエル側が敵を殺して喜ぶ記述がありますが敵はサタンに取り憑かれているだけの「人間」なので後味が悪くなると思うし悲しいことですよね。
私だってできるなら殺したくなんかないですね。
その人から悪霊が離れることが一番いいことなんですから。
でも宣戦布告されて話し合いを拒否されたら高い霊は自動的にサタンを殺すのでしょう。
人はそういうふうにできています・・
キリスト教が非暴力の軟弱な宗教だと思ったら大間違いなのです。
キリスト教の母体はユダヤ教なのですから。
「自己責任を伴って、あらゆる罪が許される」とはどういうことかをもう一度よく考えてみてください。
そしてそれは、「宗教」などという言葉の枠組みに収められるようなものではなく、「真実」なのですから。
人類にとっての「宇宙の真実の法則」が書かれてあるのですから・・
Q牧師は「殉教」というものに憧れておられ、以前「殺されたい」とも発言しておられましたが、それもまた尾崎豊と同じで一つの立派な態度だと思います。
なかなかマネできることではないですよ。みすみすサタンに殺されるというのですから。
私は今のところ「生」に執着しています。
執着がなくなったら自殺も簡単にするのでしょう。
家族がいたら残されてしまいますが。
「クリスチャン」と名乗る人の殺人が全て正しい正当防衛なのかと言ったら、それは違うでしょう。