または仏=大天使説。
欲から離れ、悟りの境地に至って言葉が降りて来たのだとすれば、それは唯一神の教えということになります。
清い心や天使に人種は関係ないでしょうし。
しかし、サタンの創作の可能性もあります。
神の知恵とサタンの創作が混じっている可能性もあります。
元々純粋な知恵でも、後から穢けがされた可能性もあります。
神はイスラエル人だけを神の民として選び、聖書(預言)に付け足すことも聖書から削ることも厳重に禁じました。
そして他民族との結婚も禁じていたらしいです。
他民族がイスラエルを攻めたら神の力でその民族は滅ぼされるかなにかされていたので、聖書はキリストの時まで言葉を改変させられずに守られてきたのです。
キリスト以降は愛によって守られてきたとしか考えられません。
しかしキリスト以降イスラエルは神に見捨てられたというか、罰として世界中に散らされたということだったと思います。(それ以前にも罰を与えられて他国に支配されたことは何回かあるようですが。)
そして新約が加えられ、各国の言葉に翻訳されて、キリストの福音がまずヨーロッパ各国に広まったようです。
ユダヤ人はアジア人なのにアラブには広まらず、ヨーロッパに広まったのはなんでなんでしょうかね?(旧約は広まっている)
それはともかく、聖書以外は、たとえ神から授けられた知恵、教えであっても、完全に保存されるように神はしなかったということです。
ですから仏教など他宗教が初めは神の知恵として与えられたものだったとしても、教え(預言)は純粋なまま残らないようになっているというわけです。
神はわざとそうなるようにされたということです。
逆に言うと、そこまで厳しくしないと預言は失われたりサタンに書き変えられたりするのが自然ということになります。
この世は常にサタンと知恵との戦いで、仏教などは、新たに知恵が足されたりして、生活の知恵として根付いてきたのではないでしょうか。
ググってみると、仏教も初めは偶像崇拝はしなかったとあります。
慈悲=神の愛か?
テトスへの手紙 / 3章 5節
神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。