リヤド
サウジアラビアの首都。
アラビア半島中央部の
[ナジュド]地方
に位置する内陸都市で、
人口は
2010年現在で
およそ525万人。
サウジアラビア王国建国以前から
サウジ王家である
サウード家の本拠地として
[ワッハーブ主義運動]
の中心になってきました。
中東有数の世界都市。
アメリカのシンクタンク
が2014年に発表した
世界都市ランキングでは
65位にランクインしています。
政治・経済の両面で
サウジアラビアの司令塔
となっています。
18世紀にサウード家の
[第一次サウード王国]の
支配下に入ったリヤドは、
⚫1818年
エジプトの
[ムハンマド・アリー]
の軍により
本拠地[ディルイーヤ]
を破壊されたサウード家が
移転したことにより、
歴史に名が残る
ようになりました。
サウード家はここで
[第二次サウード王国]を興すが、
⚫1892年
リヤドは
サウード家に敵対するラシード家
[ジャバル・シャンマル王国]
の手に落ちました。
⚫1902年、
サウード家を復興した
[アブドゥルアズィーズ
・イブン=サウード]が
ラシード家からリヤドを奪還して
以降は[ナジュド]地方
の政治的中心となり、
⚫1932年
サウジアラビア王国
の首都に定められました。
もともとリヤドは内陸の小都市で
サウジアラビア建国以前は数万人
が居住するに過ぎなかったが、
第二次世界大戦後、
石油の富がサウジアラビアに
還流するようになると急速に発展し、
アラビア半島最大の都市
へと変貌を遂げました。
■ナジュド(「高原」)
アラビア半島の中央部
にある高原地帯。
サウジアラビア王国の
首都リヤドの所在地
でもあります。
この地域の気候は乾燥し、
旱魃(かんばつ)が絶えないなど
環境が非常に厳しく、
農業の規模は極めて小さい。
ナジュドはオアシス地帯以外
全体的に人口希薄であるが、
遊牧民のベドウィンが
放牧を各地で行っています。
■ ワッハーブ派
18世紀に
アラビア半島内陸の
ナジュドに起こった
イスラム教の改革運動。
宗派としてはスンナ派に属するが、
その下位宗派に数えられる
場合もあります。
法学的には、
イスラム法学派のうち
厳格なことで知られる
ハンバル派に属します。
■ムハンマド・アリー・パシャ
オスマン帝国の
属州エジプトの支配者で、
ムハンマド・アリー朝
の初代君主
(在位:1805年 - 1849年)。
[メフメト・アリー]
ともいいます。
エジプト・シリア戦役において
オスマン帝国がエジプトへ派遣した
300人の部隊の副隊長から頭角を現し、
熾烈な権力闘争を制して
エジプト総督に就任。
国内の支配基盤を固めつつ、
近代性と強権性を併せもった
富国強兵策を推し進め、
アラビア半島やスーダンに
勢力を伸ばし、
遂にはオスマン帝国から
シリアを奪うに至りました。
最終的には勢力伸長を
危険視したイギリスの
介入によりその富国強兵策は
頓挫しましたが、
エジプトのオスマン帝国
からの事実上の独立を達成し、
その後のエジプト発展
の基礎を築きました。
近代エジプトの父、
エル・キビール(大王)
と呼ばれ、
死後も
エジプトの強さと
先進性の象徴
であり続けています。
■ディルイーヤ
サウジアラビアの首都リヤド
郊外に位置する都市です。
かつてはサウジアラビアの
王族サウード家の本拠地で、
1744年から1818年には
第一次サウード王国の首都
でした。
【サウジアラビア】ここだけは押さえたい! リヤドの定番観光スポット10選
https://www.travelbook.co.jp/topic/4199
リヤド
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%89
リヤド-サウジアラビアの
周辺観光地全部行ってみた
http://yuuma7.com/%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%89-%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%93%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%91%A8%E8%BE%BA%E8%A6%B3%E5%85%89%E5%9C%B0%E5%85%A8%E9%83%A8%E8%A1%8C%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%BF/