洗脳が解けた後 | 今日もいい天気だといいな

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中学2年生に進級し、同級生ともうまく付き合うことができるようになり、順調に日々楽しく送っていたが、ちょうど思春期に入り、少しずつ大人へと変化していく中で、それまでの親子関係にも変化が訪れた。

 

岡崎での徹底した管理教育の下で育った小学生の頃とは違い、藤沢での暮らしになじんでくると、いかに岡崎での生活が極端であったのかがよくわかった。

 

ただ、誤解しないでほしいのは、管理教育自体が「悪」であったとは言い切れないし、そう思うこともできないのだ。まるで軍隊にいるかのような統制のとれた教育は、集団生活をする上で良い面も確かにあったと思う。

 

ルールにのっとって生きる人はとても真面目で、社会の中で生きていくのに適しているため、集団生活をする上で模範となりうる人間になるだろう。徹底した管理教育は、国にとって操作しやすい従順な国民を量産するのに最適な教育方法であると思う。

 

しかし反面、世の中にはルールから逸脱してしまう人も少なからずいる。ある程度なら許容範囲として受け入れつつ、お互いに妥協しながら生活していくのが現実的で、それが当たり前だと思うのだが、要するに、自分のように「こういうものだ」と教えられたら、それ以外は絶対に間違っている、もしくは受け入れられないといった、極端な思考を育ててしまう恐れがあるのが、管理教育の悪い面だと思う。

 

まさに、自分はその悪い面が前面に出てしまったがために、中学生活になじむことが出来ず、1年もの間苦悩したわけで、「何か変だぞ?」「何かおかしいぞ?」と自分で気づいて、自ら管理教育の洗脳から抜け出そうと努力したから、思考に柔軟性を持つことができるようになったわけで、もしあのまま気づけずにいたら、おそらく永遠に学校になじむことが出来ないまま、登校拒否から引きこもりになってしまったかもしれなかった。

 

ある意味、今までの教育に対しての、反抗。悪ではなかったにしても、極端すぎた。極端すぎたがために、思考の偏った人間を作ってしまうことにもつながった。自分は管理教育の申し子であると同時に、その洗脳から抜け出すことに成功した、有益なサンプルだと思っている。

 

それまで、親や先生には絶対服従、逆らうことなどなかった自分が、洗脳から解けて、親が言っていることに矛盾を感じるようになってきたのは、言うまでもない。

 

親の言うことは正しい、大人の言うことは間違っていないと信じ込まされてきた自分だったが、タイミング的にちょうど思春期で親離れを始める頃でもあったので、少しずつだが親に対して反抗することが増えていった。

 

それと同時に、世の中の矛盾や家族間の不和についても、だんだんと見えてくるものがあった。そういったひとつひとつの事例の整合性を見出していくうちに、横山家に漂う数多くの問題にも気づき始めていった。

 

この「気づき」は、長い長い時間をかけて、徐々に自分の心を浸食していき、結果的に限界を迎えて心が壊れる時が来てしまうのだが、それはまだ当分先の話になる。結果的にこの頃の経験が、現在の自分を作り上げていくことになるのだが、それはまたの機会に書こうと思う。