にっちもさっちも行かない、というとヤツである。

水分は鼻水となって体外へ出ていく。

神仏習合と廃仏毀釈について、まずは習合の方からちゃんと知りたいと思い、

仏教伝来と聖徳太子あたりの時代についての本を買ってきて読んだら、

ちょっと自分の想像していたのと違っていた。

 

印象1

神社が建てられる動機、寺が建てられ仏像が造られる動機、というところを意識すると

結構、恐ろしいことが多いのね。

 

印象2

仏教って大陸内では哲学に近いイメージなのが、日本に入るとツールになった感じが。

 

印象3

仏教伝来からザックリアバウト四捨五入で1500年を過ぎて、私は遠方にセミナー受けに行くにも観音経持って行って宿で唱えておりますが、

私と仏教という、ある意味「現在に生きている私の仏様への信奉の気持ち」と、

仏教が国家と王族、貴族のものだった時代のことを思うと

変容に変容を重ね、今に至っている流れは、本当凄いな、と。

個人で自由にお寺や神社に詣でられるのって、当たり前に出来ているが、これって結構地味に凄いんじゃ?

 

印象4

建物と像が残り、最初に寺を建立した人の目的があったものが、今では全然違う「御利益」で名を馳せているところも多い。

 

ごめんなさい、言い訳にしかなりませんが、熱と鼻水、たまに咳でヘロヘロしながら思ったことを書いてみた。

 

本当は、読んでほっこりする岩本ナオのコミックとか読みたかったけど、手元にあったのが梅原猛「聖徳太子」、井沢元彦「逆説の日本史②」、関裕二「祟る王家と聖徳太子の謎」しかなかったの。

一番最後の本を読んでました。

 

マロニエの騎士(略してすみません)出てきた。

ほっこりさせて下さい。