ブログを書きためてるので、アップされるときはもう終わってますが。

愛犬はわたしが3歳のときから18歳まで生きました。

わたしはひとりっこなので、本当に兄弟でした。

うちにいる間はずっと一緒でした。

だんだんわたしが大人になっても、わたしが寝るまでは絶対にねなかったり(笑)
座ったまま寝てた(笑)
寝ていいよ寝なさいよって言って布団に投げても(笑)絶対起きてきて座ってた。

いじめられて泣いて帰れば、なにも言わずにまたただ座ってた。泣き止むまでただ見てた。

わたしをずっと見てた。

彼が死んでから3ヶ月、まるで幽霊みたいに生きてたから、なんにも覚えてないの。

ドアを少し開けてしまって、あぁ、そうだもういないから閉めていいのか…って。

ただいま、って言っても走ってこない。

毎日泣いてた。

あれから14年、傷は癒えるどころか深くなった気がする。

なぜかわからないけど、あの偉大な存在にあやかりたいというかさ、すがりたいんだろう。

わたしは神仏は信じません。死後の世界も、生きてる側が、大切な存在がもうなにも苦しくないように、っていう自己満足から生まれたものだと思うからです。

だって、わからないでしょう。
いまも苦しんでいても、わたしたちには。

それに耐えられないから作った世界に過ぎないのは明らかだなと思うからです。

でも、わたしはそれがすべてでもないと思う。
だって、明らかに存在を感じるときがあるから。

これはわたしが経験してるからわかるし信じるけど、からだがなくなっても、記憶とかはそこらじゅうにあるんだと思う。

アカシックレコードてそういうもんでしょ。

いつ、どこにでも、記録はあって、たまにそれがデジャブだったりなんだったりでわかるっていうもんだと思ってる。

死後の世界はないと思う、死んだら消えるだけ。

でも、記憶や記録はいたるところに残る。だから、見ず知らずの人の記録を開くときがあるから、見えたり聞こえたりするのかなって、そういうふうに思ってる。

でもだから、いわゆる虹の橋とかも信じないし、とりあえず死後の世界はないと思う。

でもでも、大事な人、存在を亡くした人には、もうなにも苦しくない。なにもわからないかわりに、なにも思わないから。と伝えるようにしてる。

また会えるとか、んなわけはないから言わないけど(笑)

なにもわからないかわりに、生まれるまえの場所へ、帰っただけだよ。って言うようにしてる。

また生まれるかとかもしらんし、わからないけど、わたしは悲しみにくれてる人にはそう言うようにしてる。

わたし自身が、そう思えば落ち着くから。

わたしの偉大な兄弟は、生まれる前のとこに帰った。なにもわからないけど、なにも感じないから痛くもないし悲しくもない。

そのほうがずっと、彼もわたしも幸せだ。

もう一度会えるなら会いたいけど…
無理だから。

無理なら、もうわたしのことは忘れて構わないよ。って言いたい。あなたが楽なほうへ、逝ってねって。

大事な存在でした。14年ていう月日が流れても、初めて会った日に爪が長くて怖かったことも、わたしの膝のうえで吐いたことも。

全部、わたしの記憶に生きてるよ。

わたしが死んでも、記憶は一緒に残り続けるからね。

どうもありがとう。大好きだよ。

命日の言葉とさせてもらいます。

大事な存在を失った方へ。

向き合わないでくださいと言いたい。
立ち直ることなんて、誰も望んでないんで。

亡くなったほうはあなたが元気だろうが
泣いていようがわからないんで。

てか、そのほうがよくない?
仮にわかったとしたら亡くなった側
心配で仕方なくね?

ならなにもわからないほうが幸せだよ。

でも寂しいし、辛いから、どこかで見てくれてると思って立ち直ろうと人はするけど…

辛いまま生きてたって十分じゃね。

痛みと傷を抱えて生きてたってよくね。

むきあわなくていいと思う。てか、
辛い、いたい、とかいう気持ちから
学ぶことなんてなにもないと思う。

ただショックなだけなのがいやだから、
人はなにか学ぼうと必死にやるけどさ

ショックならショックなままでいいと思う。

14年経っても、向き合ってみたらわたし
立ち直れてませんでしたよ。

でも生きてるわけだから。
それで十分だと思う。これ以上亡くなった側だって望まないっしょ。

だから、大事な存在を亡くした方は、
向き合うな。って言いたい。

向き合ったって合わなくたって
いつかはお腹はへるし、その人のことを忘れて笑ってる瞬間があるんだから。