今朝は2時半過ぎに起きました。


昨日たらふくお酒を飲んで←


薬飲んで寝たのになぁ。
(絶対したらあかんダメ患者)


hideさんの音楽聴きながら


寝ぼけまなこでブログを書こうとしたら


なんか赤い文字だらけで


「ランクイン!」


とか出てました。


…昨日のブログは衝撃的でしたよね。


どうか私の身内が読んでいませんように。←


世界で一番怖いのは


母でもなくダンナでもなく


3姉妹の中で絶対的権力を持つ


一番上の姉です、はい。


普段は口の悪いキレキャラの私ですが、


ダンナ曰く


借りてきた猫状態で面白いとのことです。


やかましいわっ!!


怖いもんは怖いんじゃっ!!


さてさて…


父の23回忌の日のこと。


父が亡くなって10年後に祖父が亡くなり


その4年後に祖母が亡くなりました。


なので


父の23回忌


祖父の13回忌


祖母の7回忌


をまとめてしました。


1人30分×3


多少の休憩入れて


1時間半程のお経をひたすら聴くという


ある意味拷問←的な法事です。


男性は途中からあぐらをかけますが、


女性はひたすら正座です。


喪服のスカートの中で


何度も足を崩して


時間が経つのを待つという


何の罰ゲームだというくらい長い法要です。


ちなみに昨年の27回忌は


前年足首を剥離骨折した私は正座が出来ず


椅子に座ることを許され


拷問←を回避しました。


ああ…


まだ33回忌もあるのか…。


話を戻して


3月の富山はまだまだ寒く


石油ヒーターの音とお経が響いていました。


法要が無事終わり、


お仏壇の前で膳を囲みながら


故人を偲ぶ習わしがあります。


基本的に男性は飲み食いをし、


料理の準備をしたり


女性はお酒をついで回ったりして


手が空いた時に席について


膳をいただく感じです。


法事に参加していたのは


母と私たち3姉妹、


姉2人のご主人と私のダンナ


伯父(父の姉のご主人)


伯母(父の姉、認知症気味なので幸い話は聞いていませんでした。)


だったと思います。


お坊さんにも膳を用意しますが


少しだけ口をつけて


すぐに帰られるので


膳を包んで持って帰っていただきます。 


その時私はお酒がなくなったので


台所に取りに行きました。


お酒を持って戻ってくると


ダンナたち3人が一斉にこちらを見ました。


???


かなり困惑した顔をして


どうして良いかわからない顔でした。


ダンナから


「伯父さんの話を聞いて」


と言われました。


?????


伯父は元々警察官で


県内の警察署長をする程の人でした。


父が亡くなった当時も警察署長でした。


その伯父が酔いながら話しました。


「お父さんはお風呂で沈んでいたのではない。


浴場で同僚が別の客と喧嘩になり


仲裁に入って突き飛ばされて


そばにあったガラスの壁にぶつかって


ガラスが割れて頸動脈を切って亡くなった。


相手のことは話せないが


お父さんが生きていたら大ごとにしたが


死んでしまったから…。


お父さんは正義感の強い良い男だったよ。」


人生で3本の指に入る程の衝撃でした。
(内1本は父の死、もう1本は小さい時からお尻がデカくてずっと安産だ安産だと言われていた私が実は骨盤が小さくて見かけ倒しだったこと。ちなみに超難産でした…)








はああああっ??!


そういえば


父に対面した時に


父のおでこや頬に切り傷があったこと。


お風呂に2時間も沈んでいた割に


むくんでいなかったし


髪の毛があまり濡れていなかったこと。


首に何かが巻かれていたこと。


看護師をしていた伯母(母の兄嫁)が


父の鼻に詰めてあった綿を交換する時に


やけに血が多かったこと。
(伯母は不審がっていました)


そして何より


たかが会社員の父の死の状況説明に


愛知県警の偉い人が来たこと。


あの混乱した状況の裏で


何かのやりとりがあったんでしょうね。


エリート警察官同士の何かが。


今で言う傷害致死ですかね。
(昔もか)


私は話を聞いてお酒を置いて


すぐに台所に戻りました。


母と姉2人にすぐに話しました。


4人で立ち尽くしました。


その時一番上の姉が言いました。


「お父さんは酔っ払って死んだと


不名誉なことをずっと言われてきた。


それが払拭されただけでも良かった。


どれが真実でも


名誉ある死であったんなら


私らは胸を張って生きていけるから。」


母は伯父を気遣って


「今まで誰にも言えずに苦しかったやろうに。


酔って喋りたくなったんやろね。


伯父さんも歳取らはったもんやね。」


母も姉も凄い人だと思いました。


私は衝撃的すぎて…。


ただ


じいちゃんとばあちゃんが


生きている時に言って欲しかった。


真実を携えて旅立って欲しかった。


父の両親である祖父母にまで


つかなければいけない嘘だったのか?


相手のことは言えない?


裏社会の人なのか


はたまた偉い人の身内なのか。


それでも刑事事件にして欲しかった。


そしたら


そしたら…


誰かのせいにできたのに。


父の死が


ただの死にならなかったのに。


でも


もう時間が経ちすぎています。


父の死に対して


どうこう言うつもりはありません。


真実がどうあれ


父が亡くなった事実は消えません。


父は今でも家に帰ってきません。


それが事実です。


波乱の23回忌でした。


ただ


今回の件で一番衝撃を受けたのが


私たち3姉妹の夫たちでしょう。


聞いていた死因と違うぞ?


俺ら聞いてていいのか??


なぜ俺らに話すんだ?!


みたいな感じになっていたみたいです。


とんだトバッチリ食らったのは


彼らですよね。


昨年の27回忌は何事もなく終わりました。
(長い法要は変わりませんでしたが…)


時が経つと


いろんなことが出てきますね。


確かに父は正義感が強い人でした。


単身赴任先で火事があった時に


家主を助け出したか何かで


表彰されていたなぁ。


父の良いことを思い出しました。


お父さん、夢に出てきてくれないかなぁ。


どんなじいちゃんになっていたのかなぁ。


貴方が欲しがっていた男の子、


孫8人のうち5人が男だわ。


一緒に遊んで欲しかったなぁ。


お父さん…


貴方が私のお父さんで本当に良かった。


貴方が亡くなってから


いろいろあったけど、


貴方の死があって今の私がいます。


今までありがとうございました。


これからも見守っていてください。


ありがとう、お父さん。