江戸東京たてもの園の商家が並んでいる一角に鍵屋という居酒屋がある。建物の外も内も、暖簾(のれん)もわりときれいなのでそんなに古そうには見えないが、実は幕末の1856 安政3年に建てられたと伝える160年を超える古民家で、当初は酒問屋だったが戦後居酒屋になった。初めは平屋だったが大正時代に2階を増築したという。関東大震災と戦災を免れた貴重な建物と言える。

 

この店は鶯谷駅(JR山手線)の近く、言問通りに面して建っていたが、1967 昭和42年頃に道路の拡幅のために店の存否問題が起こった。そこで立上がったのが有名無名の常連客で、マスコミでも話題となった。結局店は存続出来なかったが、建物は小金井市(東京都)で保存されることとなった。小金井市には当時武蔵野郷土館があり、それを引き継いだのが現在の江戸東京たてもの園になる。

 

実はこの店に私は一度だけ行ったことがある。おそらく存否問題の報道で知ったからだろう。店は混んでいたがなんとか座れて一杯やったのだが、記憶にあるのは写真のような整然とした明るくきれいな店の雰囲気ではなくて、もう少し雑然とした下町の居酒屋風景だった。写真の品書きにもあるが、雀やき2羽150円を注文して、出てきたのを見て「どこを食べるのだ」とビックリしたのが今も忘れられない。

 

店はその後鶯谷駅のすぐ近くに移転して代は替わったが商売を続けて今に至っている。大通りからちょっと入った目立たないところだが、大正時代の木造2階家に手を入れて居酒屋にしたそうで、庶民的な気楽に出入りできる居酒屋というよりも、落着いた雰囲気のある店になっている。

 

居酒屋ライターとして知られる太田和彦によれば、鍵屋は東京で一二を争う名居酒屋だそうで、彼の居酒屋本にはしばしば登場するが、『居酒屋百名山』(新潮文庫 2013年)の記述が上に述べた移転問題も含めてわりと詳しく紹介している。