コロナが下火となったら今度は焦熱地獄のような日本だが、この暑さにもめげずに夏の花が咲いている。代表格のヒマワリ、一面に咲く花の写真もテレビによると暑さのためにあまりよくないところが多いとか。

 

庭のアサガオは別として、私にとってはサルスベリ(百日紅)が夏の花になる。この木を庭に植えている家がわりと多いせいか、道を歩くと暑さの中でお目にかかることが多いからだろう。

 

ある日信号待ちで立止まった道端で、手の届くところにあったサルスベリの花をよく見たところ、その複雑で繊細な花のつくりに驚いたことがあった。

 

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ところで「夏の花」というともう一つ、私は原民喜(1905-1951)の「夏の花」を思い出す。あの広島原爆の前の年に病気で妻を亡くした原が夏の花をもって墓参する冒頭の場面。

 

「私は街に出て花を買うと、妻の墓を訪れようと思った。」「八月十五日は妻にとって初盆にあたるのだが、それまでこのふるさとの街が無事かどうかは疑わしかった。」「その花は何という名称なのか知らないが、黄色の小弁の可憐な野趣を帯び、いかにも夏の花らしかった。」

 

自宅の狭いトイレに入った時に原爆が落ちたが、幸い一命をとりとめた彼が親族を探して被爆した広島の街を歩き回り、目にした街のようす、人々の有様があまり感情を前面に出さずに描かれていく。それだけに読む者の心に響く。

 

作品の中で、ここだけはカタカナで書きなぐるほうがふさわしいと言って原が書いた部分。

 

ギラギラノ破片ヤ

灰白色ノ燃エガラガ

ヒロビロトシタ パノラマノヨウニ

アカクヤケタダレタ ニンゲンノ死体ノキミョウナリズム

スベテアッタコトカ アリエタコトナノカ

パット剥トッテシマッタ アトノセカイ

テンプクシタ電車ノワキノ

馬ノ胴ナンカノ フクラミカタハ

プスプストケムル電線ノニオイ

 

同じく被爆した竹西寛子(作家)は、「「夏の花」は、被爆した広島が言わせた言葉で成り立ち、意味づけられていない広島を遺し、そのことによってまさに存在の表現に与り得ていると思うからである。」と評した。

 

原民喜の詩からもう一つ。

 

コレガ人間ナノデス

原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ

肉体ガ恐ロシク膨脹シ

男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル

オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ

爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテクル声ハ

「助ケテ下サイ」

ト カ細イ 静カナ言葉

コレガ 人間ナノデス

人間ノ顔ナノデス

 

ウクライナをはじめ戦禍に苦しんでいるすべての人たちを思う。

 

 

 

 

キツネノカミソリも夏の花、庭に咲く花は心なしか今年は元気がないようだ。