西武線清瀬駅から市役所方面へのケヤキ並木にはいくつもの彫刻が置かれています。

 

写真の最初は佐藤忠良(1912-2011)の「亜古」(1964)です。幼い女の子の愛くるしさが素晴らしいですね。佐藤は言うまでもなく近現代日本の代表的な彫刻家の一人で、パリのロダン美術館で個展をやりました。町の中に作品が置かれるのでも一番ではないでしょうか。

 

次が柳原義達(1910-2004)の「道標・鳩」(1972 ・1974)です。1950年代にヨーロッパに滞在して自己の彫刻を確立したと言います。この作品は代表作の一つ。わりと町の中で見かけます。

 

次は舟越保武(1912-2002)の「笛吹き少年」(1967)です。少年の幼い命が静かに表現されていますが、こうした少年像が街頭に置かれるのは珍しいです。舟越は大理石彫刻の日本の第一人者であり、素晴らしい女性像がたくさんあります。また銅の像も多く、「原の城」や女性像など心に残る作品が多くあります。

 

この三人は新制作協会彫刻部の創立会員で、近現代日本の具象彫刻を代表する存在として活躍しました。

 

 

 

 

 

この彫刻の置かれた道路は「キヨセケヤキロードギャラリー」(写真)といい、1989(平成元)年から93年にかけて合計24基の彫刻が設置されました。

 

具象の作品が11基、抽象の作品が13基です。その内外国人の作品が5基です。

 

市の作ったパンフには、清瀬市の「シンボルゾーン」に置かれた「優れた彫刻たちがみなさまの心に「うるおい」と「やすらぎ」を与えてくれることでしょう」とありました。

 

この「シンボルゾーン」がどんな様子かは彫刻の写真をみてもらうと分かると思います。もう少し作品を見ましょう。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

最初の写真は淀井敏夫(1911-2005)の「幼いキリン・堅い土」(1985)です。瘦せ細ったような形態と堅い感じの作品に特色があります。二科会で活躍しました。

 

次が細川宗英(1930-94)の「王妃」(1989-92)です。マヤ文明の影響をうけるとともに、物語や絵巻の彫刻化を試みました。

 

最後は澄川喜一(1931- )の「そりのあるかたち ´90」(1990)です。同じテーマでいくつもの作品を作りました。新制作協会で活躍し東京藝大の学長も勤めました。

 

以上は設置された彫刻のごく一部ですが、全部を見て感じたのは、芸術作品はその設置にやはり場所を選ぶということでした。どんなに素晴らしい作品だとしても、どこに置いてもいいという訳にはいかないという事です。

 

すでに置かれている彫刻たちがもう少し生き生きとしてくるような道路の整備に市の工夫が欲しいところです。道路周辺の畑と家のある景観は、ビルやお洒落な建物が並ぶ市街地とは異なる設置場所の特色としても、せめて電線の地中化と歩道を少しお洒落に造り直して、最後の写真のような作品名などの銘板を時間がたっても変化しないものに替えるといったことをすればと、思ったのでした。

 

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