前回はやや脱線したので今日は小説について少しばかり書きたいと思う。夏目漱石や 『心』 についてはすでに多くの人によって研究や評論が重ねられており、私が特に新しいことを言うわけではないが、一読者の感想ということで。

 

 『心』 は、「先生と私」 「両親と私」 「先生と遺書」 の3章から成るが、「先生と遺書」 が約半分を占めて前の2章は導入的な部分といえそうだ。

 

 鎌倉の海岸で先生と偶然出会って話をするようになった私が、定職を持たずに奥さんと2人で世間から忘れられたようにひっそりと住んでいる先生、なぜかよく一人でお墓参りに行く先生に関心を深めていく第1章。父親の病気で帰省した私が、両親から大学卒業の祝いと就職の心配をされて困っているところへ先生から分厚い手紙が届く第2章。第3章は遺書という形の先生の独白。

 

 なぜ私は自ら死を選んだのか?(第3章では 「私」 は先生のこと) 「私に乃木さんの死んだ理由が能く解らないやうに貴方にも私の自殺する訳が明らかに呑み込めないかも知れませんが」 と本人が書いているように、読者にもその飛躍がもう一つ呑み込めないが、原因は親友Kの自殺にある。

 

 『それから』 では、女性をめぐる親友との関係で一旦は自分は我慢したが、数年後に親友の妻となった女性と再会してからの青年の苦悩の話だった。今度は、逆に女性(下宿のお嬢さん)への思いを私に告白した親友Kを裏切って、私は母親にお嬢さんとの結婚を申込んで認めてもらう。恋の勝利者となった私だが、その直後にKは自殺してしまう。その後結婚した私だが、妻となった女性もその母親もKの思いについては何も知らなかった。

 

 私はまだ10代の時に両親を腸チブスで亡くす。その後実家を叔父に任せて勉学のために東京に出た私だが、信頼していた叔父に財産を横領されるという裏切りで心に傷を負っていた。その私が今度は親友を裏切ってしまった。

 

 ここまで語るのに小説の大半のページが費やされる。お嬢さんとKと私の三角関係の中での私の心の中の描写は実に秀逸で、もし私(たかはし)が私の立場になったら同じように思い悩むだろうと共感したのだった。

 

 結末は一気にやってくるが、漱石の人間観察の深さに感心したのだった。

 

 恋の勝利者となった私は幸せな結婚生活を送るはずだった。外見は幸せそうだった。そしてKの自殺は、恋に破れて絶望した結果だと思っていた。しかし、何も知らない妻と、真実を決して話すことのできない私が一緒に暮すことは、常にKを忘れることができず、Kに脅かされているようなものだった。叔父に裏切られた自分は今度は親友を裏切ることになった。自分に愛想が尽きる思いが深まるばかりだった。

 

 小説では、「私は妻と顔を合わせてゐるうちに、卒然Kに脅されるのです。つまり妻が中間に立って、Kと私を何処迄も結び付けて離さないやうにするのです。(52)」 「他(ひと)に愛想を尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです。(52)」 と書いている。

 

 愛する妻にも重大な秘密を抱えたまま暮さなければならない私は、真の孤独、心の深い孤独を自覚せずにはいられない。その時に、Kの自殺も実は深刻な孤独にあったのではないかと思い及ぶ。Kは実家とも養家ともうまくいかなくて困っていたのを私が面倒を見て同じ下宿に住むようになったのだった。そこでKは親友の裏切りにあったことになる。「私もKの歩いた路を、Kと同じやうに辿ってゐるのだといふ予覚が、折々風のやうに私の胸を横過り始め」 た。(53)

 

 「私はただ人間の罪といふものを深く感じたのです。其の感じが私をKの墓へ毎月行かせます(54)」。その感じが妻にも妻の母にも優しくするように命じる。知らない人から鞭打たれたいという思いにさせられる。そのうちに自分で自分に鞭打つべきだということに気づく。しかし簡単に死ぬわけにいかないから、死んだ気で生きていこうと決心したのだった。

 

 そこに起きたのが明治天皇の死だった。「其時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったやうな気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、其後に生き残ってゐるのは必竟時勢遅れだといふ感じが烈しく私の胸を打ちました。(55)」 という有名な一節が続き、さらに乃木夫妻の殉死の報でついに私は自殺を決意したのだった。

 

 明治天皇の死に対する感慨は、おそらく明治の始まる前年に生まれて明治とともに生きてきた漱石自身のものであったのだろう。漱石は、小説の主人公にそれを代弁させて、やや飛躍はあるが死を選ばせることで自身の気持にけじめをつけたのではないだろうか。

 

 「吾輩は猫である」 で作家漱石が登場したのは1905 明治38年、日露戦争終結の年だった。それから1916 大正 5年に亡くなるまでの明治末・大正初めは、戦争の勝利にも関わらず戦後の不況と様々な社会問題の深刻化で日本の将来に希望が見えにくい時代だった。漱石の小説にはこうした時代が多かれ少なかれ反映している。『心』 の第 2章もそういえるだろう。1914年に始まった第一次世界大戦は、やがて日本経済に大変な好景気をもたらして新しい政治・経済状況をつくりだしたが、漱石はその直前に死を迎えた。

 

 人は時代と離れて生きることができないならば、漱石もその一人だった。しかし、彼は時代を超えた人間の普遍的な問題を、心に秘密を持って生きることを、男の立場から考え続けたのだろう。