漱石の有名な小説 『心』 を縮刷版の復刻版(1984年、岩波書店)で読んだ。

 

 小説 『心』 は、1914 大正 3年に 『朝日新聞』 に連載されて、終了の直後に岩波書店から刊行されたが、装丁・題字などのすべてを漱石自身がしたと序文にある。表紙・序文では表題は 「心」 だが、なぜか背には 「こゝろ」 と書いてある。

 

 その縮刷版が出たのは1917 大正 6年で、今の新書本よりも一回り小さい本だが、布張り表紙に天金(切り口の上が金色)といった丁寧な造りになっている。普及版とはいえ今の文庫本よりも風格がある。漱石は前年の大正 5年に亡くなっているので巻末には絶筆 『明暗』 の広告が出ていた。

 

 こうした縮刷版の漱石の小説はだいぶ前から古本屋で目に付くと買い求めていたので私は何冊も持っているが、中には大正16年 5月発行の 『虞美人草』 という珍本もある。大正天皇は15年12月に亡くなっているから16年はありえないわけで、校正ミスでなければ時代がおおらかだったのだろう。

 

 ところでどうして 『心』 かというと、久しぶりに読んでみようということと、もう一つは、明治・大正ころの文章で送り仮名や当て字のようすを見てみたいという気持があったからだ。

 

 というのは、かねてから今の雑誌や本などでの送り仮名の使い方に疑問を持っているからだ。漢字については常用漢字という一応の目安があるが、送り仮名にもそうした目安があるのだろうか?小中高の教科書では一応の基準があるのかも知れないが、一般的には送り仮名は一つに決めなくても許されてよいと私は思うのだがどうだろう。

 

 例えば、私は、「気持」 や 「問」 「答」 「暮し」 は、「気持ち」 「問い」 「答え」 「暮らし」 と書きたくない。また、「立ち上がる」 「打ち消す」 「取り扱う」 は、「立上る」 「打消す」 「取扱う」と書きたいと思う。特に理由があるわけではないが長いこと上のように書いてきたからだろう。

 

 ところが最近はどうも一つに決められているようで、本やテレビで 「気持ち」 「問い」 「答え」 「暮らし」 といった以外の書き方が出てこない。そのうち 「気持」 や 「問」 「答」 「暮し」 と書いたら間違いとなりそうで心配だ。

 

 ここまで書いたところで念のために手元にある国語辞典を見たところ、内閣告示に 「送り仮名の付け方」 というのがあり、法令・公用文書・新聞・雑誌・放送などで常用漢字表の音訓によって現代の国語を書く時のよりどころとして示すものだとある。しかし科学・技術・芸術その他の専門分野や個人の表記にまで及ぼすものではない、とあるので安心した。

 

 ついでに言えば、漢字でも固有名詞は尊重して欲しいと思う。會津八一や芥川龍之介や坂本龍馬は、会津八一や芥川竜之介や坂本竜馬であって欲しくないと私は思う。なぜ 「右へ倣え」 になってしまうのだろう。

 

 また、東京藝術大学、日本民藝館がこう書いているのは理由があるので、「藝」 と 「芸」 は本来別の漢字で 「芸」 を 「藝」 の常用漢字としたのが問題、少なくとも固有名詞の時には 「藝」 を使うことを尊重すべきだと思う。

 

 といった思いもあって、漱石の 『心』 を読んだのだが、新聞の連載小説だからあまり独りよがりの個性的な表現は許されないだろうと考えていた。しかしやはり時代がおおらかだったのだろう、当て字がいろいろあって楽しい。どれも振り仮名(ルビ) あるのではっきりしているが、「糠る海」 が 「ぬかるみ」、漢字で書くならば普通は 「泥濘」 だろうが 「糠る海」 は感じがよく出ている。「失策った」 「手落り」 「非道かった」 が、「しまった」 「てぬかり」 「ひどかった」 というのもある。

 

 「気持」 は目につかなかったが、「心持が」 というのがあったので、おそらく 「気持」 と書いたのではないだろうか。「立ち上がる」 「打ち消す」 「取り扱う」 は、「立ち上り」 「打ち消す」 「取り扱は」 という例があった。

 

 日本語の文字による表現は万葉仮名の時代から個性を重んじた多様な表現が許されて今日に至ったのだろうから、国際化とか教育といった観点からは問題があるかも知れないが、画一化を急がずにこうした伝統を重んじていって欲しいと思う。

 

 肝腎の小説についてまだ何も書いていないが、長くなりすぎるので次の機会とする。