写真は奈良の唐招提寺金堂とその脇に建つ會津八一の歌碑だが、今ごろは写真のように紅葉に包まれていることだろう。

 

  おほてらの まろきはしらの つきかげを  つちにふみつつ ものをこそおもへ

 

 今日11月21日は、1956 昭和31年に亡くなった會津八一の65回目の命日になる。先に大阪の観心寺に去年の秋に建った歌碑を紹介したが、没後60年を超えた今も歌碑が建てられるというのはまことに稀有のことではないだろうか。

 

 古都奈良に寄せた會津八一の深い思いと歌の数々が、またその生き方がいかに多くの人たちの心を惹きつけているのかをあらためて感じる。

 

 知人宛の手紙に 「奈良は小生第二の故郷とも申すべしとひそかに存じ居候」(1921年10月)、また 「嫩草山下一帯の地これ道人が墳墓なり」(1922年1月、いずれも 「全集 第八」)と書いた會津八一だが、この唐招提寺の歌碑には遺骨の一部が埋納されているという。幽界の八一は奈良の秋を楽しんでいるだろうか。

 

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