茨城県水戸市に復元新築された中村彜のアトリエについて前回紹介したが、今回はそのアトリエが本来建っていた場所(東京都新宿区)に解体復元された “中村彜アトリエ記念館” について紹介しよう。

 

 記念館は2013 平成25年3月に開館したが、敷地南の入口から入ると東側に細長く管理棟が建てられたので全体の感じはやや狭くなってしまった。しかし中村彜が生存していたころのようすが復元されたのはうれしい。

 

 

 

 

 中村彜がここ落合の高台にアトリエを建てて移ってきたのは1916 大正5年8月で、1924年12月に亡くなるまでわずか8年間しかなかったのだが、このアトリエでいくつもの作品が描かれ、多くの友人たちとの交流があった。

 

 彝の没後にここに住んだ人によってアトリエの東には洋館が、西には2階建ての建物が建てられたがアトリエだけはほとんど手をつけずに残されてきたという。また関東大震災や戦災の大きな被害も受けなかったというのは奇跡に近いと言える。彝を愛し、大切に思った人々の思いが実を結んだと言えよう。記念館の館内に掲示されていた 「アトリエの保存と継承」 という説明パネルの写真を読めるように3つに分割して載せた。

 

 

 

 

 解体復元工事にあたっては当初の部材をできるだけ利用し、増築部分は取除いて西側に彝の身の回りを世話した岡崎きいの部屋・台所を復元した。アトリエの南側の彝の居室・寝室・応接室にあたる部屋も当初のようになった。

 

 しかしイーゼルや椅子など彝のゆかりの品々がいずれも水戸のアトリエに行ってしまったのでこの記念館にあるのはいずれもそれらのレプリカなのがちょっと寂しい。それにしても狭い室内に関係ないものも含めて物を少し並べすぎてはいないだろうか。ここは展示室ではなくあくまで復元されたアトリエと居室なのだから、もっと展示物を少なくして見学者が静かに彜の存在を想像できるような空間を保ってほしいと私は思う。

 

 

 

 

 

 

 このアトリエで彜の代表作 “エロシェンコ氏の像” が描かれたのはよく知られているが、彫刻家中原悌二郎の “若きカフカス人” が制作されたことはあまり知られていないかもしれない。次の機会に紹介したいと思う。