千年の歴史を経て今なお絶大な人気を持ち多数の信者が集う川崎大師で

2つの立派な句碑に出会った。

 

 

 

 

 

金色の涼しき法(のり)の光かな 虚子

 

高浜虚子(1874~1959)は俳句の巨匠

戦災で焼けた本堂が再建され本尊遷座を記念した句会での句とのこと。

遷座一周年の1959 昭和34年5月14日に建てられた。

 

ところが虚子はその直前の4月8日に85歳で亡くなり

この句碑の書は虚子の絶筆と

脇に立つ 「句碑之由来」 という石碑に書いてあった。

 

虚子の句碑は相当に多いだろうが

この大きな句碑には特別な意味があるのですね。

 

 

 

 

 

朝霧の雫(しずく)するなり大師堂 子規

 

正岡子規(1867~1902)は明治時代に俳句・和歌の革新に努力したが

これは1894 明治27年11月3日に川崎大師に参詣した折の句

 

大開帳を記念して2014 平成26年5月1日に建てられた。

句碑の書は子規の直筆だそうです。

 

55年の歳月を経てこの2人の歌碑が並び建つことになったが

この2人の深い関係についてなにも触れていないのは残念

 

2人は共に愛媛県松山の出身で、一時は子規庵に同居し

虚子は子規の没後その志を継いで 「ホトトギス」 を全盛に導いた。

 

それにしてもこの2つの句碑は大きい。

もう少し小さい方がよかったのでは、というのは私の感想です。