写真は那覇で手に入れた琉球ガラスのフリーカップです。沖縄のガラス工芸は、戦後駐留したアメリカ軍が廃棄したコカコーラなどのガラス瓶を再利用して発展してきたが、これは読谷村座喜味に工房を構える稲嶺盛吉さんの作。

 

 セピアから淡いグリーンへの柔らかい色の変化と手触りが気に入り、家では泡盛や焼酎をオンザロックで楽しんでいる。

 

 「琉球稲嶺ガラスは、廃瓶のガラスを人間の手で粗々しく、しかも単純に自然にうまれる色のままで甦らしたものです。その肌合は、まるで陶器のような温もりがあり、特に 「泡ガラス」 の技法はその感を強くします。稲嶺盛吉の五十年のガラスの道は、常に新しい技法に取り組み、ガラスの造形的な可能性を追求しています。その手技と独特の感性に出逢った、棄てられていた瓶から生まれたガラスたちは、かつて所有したことのない美しさを引き出され、とまどっているようにみえます」 と、器に添えられた栞にあった。

 

 それからしばらくしてNHK テレビ BSの番組 “いっぴん” が沖縄ガラスを紹介し、その中で写真のカップを作った稲嶺さんの工房が紹介されて、このカップがどのような苦心の末に作られたのかを知ることが出来た。

 

 もともと沖縄のガラスは廃瓶を原料として気泡を閉じ込めた作品がその特色の一つだったが、表面の全面に泡のように気泡を閉じ込めたのは稲嶺さんの創作で、それは苦心の試行錯誤の結果たどり着いた米糠(ぬか)の利用だった。

 

 ガラスの窯に米糠を放り込むと、糠とガラスの成分で細かい泡のガラスになり、それを透明ガラスの下玉につけて成形をするそうです。米糠の代わりに備長炭の粉やカレー粉でも趣の変わった泡ガラスができるそうです。

 

 自分の好きな器がどのようにして出来たのか知ると愛着が増す。さまざまな創意工夫が新しい作品(創作)の源と改めて思ったのだった。

 

 テレビの “いっぴん” は好きな番組のひとつだが、ガラスの中に泡をいくつも閉じ込めるのに剣山を利用する技や、稲嶺工房で修業して独立した小野田さんの淡いピンクのひび割れ模様の器に泥水を利用する技も紹介された。

 

 日本の職人はすごい! 日本の工芸はすごい! と、テレビをみてはいつも感動するのです。