もう生の柿の季節は過ぎてしまったが、かつて正岡子規の有名な 「柿くへば…」 の句について書いたことがある。その後読んだ 『表現に生きる正岡子規』 (長谷川孝士、新樹社、2007年) という本に子規のこの句に関連した部分があったので紹介したい。その上でかつての記事をリブログする。

 

 子規が存命中のことだが、碧梧桐が 「この句を評して 「柿食ふて居れば鐘鳴る法隆寺」 とは何故いはれなかったであらう」 と書いた」 のに対して、子規が 「これは尤の説である。併しかうなると稍ゝ句法が弱くなるかと思ふ」 と書いている。(『病牀六尺』 百十、明治35年8月30日)(p.105)

 

 子規の友人太田正躬(柴洲)が柳原極堂にあてた書簡で、「柿くへば」 の 「ば」 が原因結果の関係を示すようにとられて混乱を招くので 「アノ句碑ハ至急とりのけた方がよいと存じます」 と書いているそうだ。(昭和8年12月26日付書簡)(p.106)

 

 子規のこの句がよく知られるようになったのは国定教科書 『小学国語読本』 の6年生用(昭和14年文部省発行) に載ってからだろう。「雪残る頂一つ国ざかひ」 「菜の花や小学校のひるげ時」 「犬が来て水のむ音の夜寒かな」 に 「柿くへば」 とあわせて4つの子規の句が教材になっている。(p.104)

 

 石井桐蔭氏は、俳誌 『山茶花』 (平成4年9・10月号)でこの句の解釈をめぐって 「碧梧桐の「柿食ふて居れば」 では 「ただの説明」 で 「作者の感動は全く出ない」 と、「ば」 の表現性を高く評価」 しているそうだ。(p.107) (写真は山梨県甲州市の旧塩山市恵林寺付近にて)