軽井沢を訪ねた折に明治時代からの歴史がある万平ホテルから旧軽井沢に向かう途中で小道に入ると室生犀星(1889~1962)の旧居があった。犀星の小説や詩は若いころにずいぶん読んだので寄ってみることにした。

 

 旧居は2部屋くらいの小さな家が3つ並んで建つ変った造りで庭の苔の緑が印象的だった。犀星がはじめて軽井沢に来たのは1920 大正 9年、この家を建てたのは1931 昭和 6年だそうで、堀辰雄や志賀直哉・川端康成らとこの家で交流があったかと思うとこのあまり立派とは言えない家も意味あるものに見えてきた。

 

 

 

 

 

 

 犀星の旧居から旧軽井沢の街へ出て矢崎川の橋を渡り、左岸を上流に少し行くと詩碑があり、流れのわきの帯状の平地には石像が 2つ立っていて詩碑はそのすぐそばの石垣に嵌め込まれるように建っていた。

 

我は張り詰めたる氷を愛す。/斯る切なき思ひを愛す。/我はそれらの輝けるを見たり。/斯る花にあらざる花を愛す。/我は氷の奥にあるものに同感す、/我はつねに狭小なる人生に住めり、/その人生の荒涼の中に呻吟せり、/さればこそ張り詰めたる氷を愛す。/斯る切なき思ひを愛す。

 

 この詩 「切なき思ひぞ知る」 は詩集 『鶴』(1928年刊) のなかの一編。

 

 この詩碑は、詩の選択も構想も経費もすべて犀星自身によって行われたそうで、石像は旅行の途中ソウルで買い求めたもので、像の下には遺品が納められているそうだ。

 

 この詩碑が完成したのは1961 昭和36年 7月だが、その僅か 8月後に犀星は亡くなった。軽井沢の自然に溶け込んだ大変すばらしい詩碑に感動した。

 

 

 

 

 

 碓井峠を下ってきて犀星詩碑の入口にあたる橋を渡ると昔の軽井沢宿の入口で、江戸時代に建てられた芭蕉の句碑があり、脇本陣だったつるや旅館がある。

 

 橋を渡ってすぐ右に聖公会の宣教師A.C.ショウが建てた礼拝堂ある。ショウは1886 明治19年に家族と共にここに来て、避暑地として軽井沢が気に入り明治28年にこの礼拝堂を建てたという。ショウの胸像の脇には 「避暑地軽井沢発祥の地」 と書いてあった。