友人のお墓まいりに秋田に出かけた折、青森に回って初めて三内丸山遺跡を見学したのはもうずいぶん前のことになる。風に吹きとばされる直前のタンポポの綿帽子で真白な野原に浮かぶ巨大な竪穴住居の姿が印象的だった。そしてその近くに立つ六本柱の大きな物見やぐらは、じつは宗教的な意味をもった立柱だったのではなかろうかと想像しながら、あの上に立ったら海がよく見えるだろうなとも考えたりした。それにしても立派な施設を作り、遺跡の保存と公開に入場無料(現在は有料)で頑張っていた青森県には大変感心したことを覚えている。


 この日は青森に泊った。青森駅は昔のままに桟橋に直結するような位置にあり、ホームに入った列車は向きを変えて出て行った。駅前には海からの涼しい風が吹いており、桟橋には青函連絡船八甲田丸が横付けになって保存されている。空には2羽の鴎が風に流されながら弧を描いて飛んでいた。こうした光景を見た私は、近年亡くなった元同僚と函館からの帰りに駅の近くで津軽三味線を聞きながら一晩飲んだことを思い出した。 JR津軽海峡線が開業したのは1988年3月だからその2、3年前だったろうか。 おそらく連絡船に乗るのもこれが最後の機会だろうからと2人で大雪丸に乗船して海を渡った。

 青森に着いたのは夕方だったが、乗る予定の夜行寝台列車は11時過ぎだった。そこで入ったのが駅の近くの店で、姉の唄と妹の三味線で津軽の民謡を聞きながら開店から閉店まで飲み続けた。こんなことはめったにないことなのでよく記憶に残っていたのだろう。遺跡を見学した後久しぶりに青森駅に降りてすぐに思い出したのはこの一夜のことだった。 駅の辺りを探してみると 「正調民謡の店 甚太古(じんたこ)」 と看板のかかっている店があった。 観光案内所でもらった小冊子には 「高橋竹山さんの一番弟子西川洋子さんの弾く繊細な三味線が聴ける店」 とある。ここにちがいないと思った。

 

 

 

 

 店の中には4人用の小さな座卓が7つ2列に並び、奥には小さな囲炉裏がきってある。今夜の最初の客と喜んでいたら、本当は今日は休みだったが急に開けることになり予約客がいなかったので入れたのだと後で分かった。予約をしなければ入れない店になっていたのである。

 

 料理は津軽のおいしいものを注文しなくても順番に出してくれる。最初はモズク・ナマコ・ 塩辛、大根と人参の膾とおつまみが並ぶ。酒は八戸の福牡丹で燗をしてもらう。次に大根・人参・生揚げ・蒟蒻・青菜の温かい粥(け)の汁が出る。どれもおいしくて酒がすすむ。 相席なしで時間制限もなし。一晩に7組の客しか取らないいまどき珍しい店だが、おそらく毎晩満席なのだろう。運のいい今日の客は4組9名だけのようだった。昔は2 階で宿屋、1階で店をやっていたが、道路を広げることになって建替えたときに少し狭くなったが1階の店だけにしたという。おいしいものを食べて酒を飲んでいるうちにだんだん昔の記憶と重なってきた。この店に間違いなかった。

 

やがて西川洋子(竹苑)さんが現われた。愛用の三味線で津軽じょんがら節・あいや節・甚句・よされ節と津軽の民謡が次々と話を交えながら演奏された。 唄はご主人と思われる方で、小太鼓を叩きながらの熱演だった。本当ならば姉の西川慶子(雲奴)さんが唄うところだが何年か前に怪我をして今は引退したとのこと。料理は、ホタテとサケの刺身、人参とタラコの和え物、姫竹・人参・サトイモ・棒タラの煮物と続く。

 津軽三味線一筋の西川さんの話は、師匠高橋竹山さんの人となりや思い出、竹山さんとコンビを組んだ唄の成田雲竹さんのことなど尽きることがない。リクエストで十三の砂山を演奏したときには、西川さんが十三を訪ねたとき何故か村の婦人たちがみな姿を隠してしまったこと。どうしてかと思ったら、竹山さんや西川さんの三味線で世に知られるようになった十三の砂山が村に伝えられてきたものそのままではないことに対する不満であったこと、各地に伝えられた民謡を三味線にのせて広めることの難しさを話してくださった。戦後作られた唯一の津軽民謡-りんご節は成田雲竹さんが弟子の西川慶子さんのために作ったこと、などなど。

 店の出入口には三味線を抱えて熱演している竹山さんの大きな人形が飾ってあった。西川洋子さんは最初の弟子である。料理もいい味の出ているキンキとネギのジャッパ汁で終りとなった。貫禄十分の女将でもある西川さんの 「めがったか(おいしかったかですか)」 に、「うーんめがった」 と返して店を出た時は10 時を回っていた。亡き同僚にお猪口一杯の酒を注いで、昔と今を行ったり来たりの青森の一夜だった。

 帰りぎわに、 竹山さんが甲州武田家の家臣の流れだといっていたというのを聞いて、自分の家についても同じようなことを聞いたことのある私は、「元を辿ると竹山さんと私はどこかでつながるのかな」 などと考えながらホテルに向かった。(甚太古は2019年12月30日に惜しまれながら閉店したそうです。)