作家吉村昭の作品はどれも綿密な取材をもとに書かれていて読み応えのあるものばかりだが、その吉村に 「一人旅」 という文章がある( 『図書』 2006年6月 岩波書店)。そこで彼は 「取材旅行は一人がいい」 と書いている。

 

 出版社が 「取材の費用を負担してくれたり、編集者を助手に」 というのが腑に落ちない。「もらういわれはないのだ」 ともいっている。 もっともそんな一人旅の取材のために偽者と疑われたこともあったそうだが、「その後も、私は一人で調査の旅をつづけている。それが私のこだわりと言ってよく、私はそれが気に入っているのだ」 と言い切っている。 私だったらどうだろう。出版社の援助も悪くないが、やはり気を使わないで思うようにやれる一人の方がいいだろうなと思う。私の性分に合っている。もっとも出版社からそんな話が来ることはないだろうが。

 

 吉村昭は2006年7月31日に亡くなったので、 「一人旅」 は最晩年の文章にあたる。その年の 2月に舌がんと膵臓がんの手術を受けたそうだが、作家加賀乙彦が追悼文で 「文士友達のなかでもっとも古くからの知り合いだった」 が 「訃報があまり急だったのでびっくりした」 と書いている(『毎日新聞』 8月4日。私も驚いた一人だが、その後津村節子(吉村夫人)の 『紅梅』(2011年7月、文藝春秋)を読んでさらに驚いた。この作品はがんに苦しめられた吉村のようすを書いたものだが、その最期は自分の意志によるものだったことを伝えている。

      

 加賀はさらに、外国旅行の話になると吉村は 「外国に行く暇があったら国内に行きたいところがまだまだ沢山ある」 と言ったこと、ある小説を書くのに長崎を 50回訪ねた話、映画や芝居を観ることもなく 「自分で調べて作ることのほうに全エネルギーを用いていたようだ」 とも書いている。吉村のこだわり、情熱が並ではなかったとつくづく感じた。 またこんなことも書いている。加賀が仲間とある店で飲んでいると吉村が一人で現れてしばらく話に入りながら飲むとまた一人で出て行ってしまう。「一人であちらこちらと渡り歩くので、孤独だが自由な梯子飲みなのだった」 と。文芸家協会の税務委員の仕事を熱心にやっていたとも書いているので決して自分のことしかない人ではなかったようだが、本当に 「一人」 が徹底できる芯の強い人だったのだろう。

 


 

 私も旅先の酒は一人に限ると思う。仲間と一緒では日常の延長のようになってしまう。一人だとまずどの店に入るかから始まり、店に腰を下ろしたらなるべくその土地の酒と料理を注文する。一人だから店の人やとなりの客とも話しやすい。いろんなことを知ることができる。もちろん一人静かに飲む酒の味も格別だ。

 

 大阪阿倍野の明治屋は何回行ってもそのたびに初めての人と会話が弾むし、信州飯田のひがしのという店では若い女将の元気な顔を見ながら仕事でこの町に来ている人としんみり話した。越後柏崎のおおはしは食堂のような店だが魚が実においしかった。京都四条河原町の角を少し入った居酒屋で阪神ファンの熱気に囲まれて飲んだ酒もよかった。仙台文化横丁の小さな店源氏の静かに時が流れるような店でつまんだバクライの味(赤ホヤとコノワタの塩辛)、雪と風の寒い夜に物静かな女将さんや客と語らいながら過した会津若松ぼろ蔵での一夜のことなど、これまでエッセイで触れてきたものもあるが、まだまだ忘れがたいことがいろいろとある。やはり一人旅に一人酒はよいものだ。

 


 

 ところで池内紀(おさむ)の 『なぜかいい町 一泊旅行』2006年6月、光文社新書)を読んだ。北海道から九州まで、そのほとんどが観光地とはいえない小さな町や村への一人旅の話だ。どの町も自然体で歩きいろんなことを見聞してそれをまた気取らずに書いているのがとてもよい。自分もその町にいるような気分になってしまう。それにしても宮城県の登米町は 「とよま」 と 「とめ」 の2種類の読み方を使い分けているという話には驚いた。 

 

    この本にあるようないい町いい村が平成の大合併でいくつも消えてしまったのが残念だ。全国に先駆けて60歳以上の老人医療費を無料にした岩手県沢内村が西和賀町となって無料制度は終わった。またスローライフシティを真先に名乗った静岡県の掛川も新しい市となったが、その志は受継がれているのだろうか。だがいい町いい村はまだいくつもあることだろう。そんな町や村と出会うことを楽しみに私もまた旅に出たいと思う。

 

 池内は旅先での一人酒の話をあまり書いていないが、こちらも本当はいろいろとあることだろう。おいしいものやお酒に目がなさそうなことは文章の端々から窺われるが佐川町(高知県)の話でとうとうばれてしまった。 高知空港から乗ったタクシーで昼間もやっている店を教えられて出かけた。「一人客 は結構いて、目が合うと 「どちらから」 と問われ、「東京から」 と答えると 「それはそれは。まま、イッパイ」 とついでもらえる。べつに東京からでなくても、人ごとに 「まま、イッパイ」 がとびかって、おてんとうさまが高くても、酒場はすっかり夜の雰囲気である」 といった具合で、結局その日は食べ過ぎ、飲み過ぎでホテルに転げこむことになるが、一人旅一人酒の雰囲気がよく出ている。また仁淀川は四万十川よりきれいだとの話を読んで見に行きたくなった。この池内も2019年8月に心不全で急逝した。

 


 

 まだあの大震災の何年も前のことだが、仙台の宮城県美術館の洲之内コレクションと佐藤忠良記念館を見た後気仙沼に泊った。予定では港の辺りを見学して一杯ということだったが、予約した駅近くのホテルが港にはだいぶ遠いこととあいにくの雨でそうもいかず、仕方なく 駅にわりと近い “あじ蔵” という店に行った。タクシーの運転手が 「旅行者が行くのは意外」 といった顔で 「いい店ですよ」 と言ったので嬉しくなった。 この店は、東京で修行してきたという地元生れのまだ若いおやじさんがやっている店で、客は地元のおなじみさんばかりのようだった。だから私のような客は珍しいのだろう、町のこと漁のことなどいろいろと話してくれながら新鮮な海の幸をいろいろと出してくれた。なかでも珍しかったのはサメ(フカ)の心臓で、気仙沼がフカヒレで有名なのを思い出した。この店の主人が安全な食物を願って添加物や農薬の影響のない食材を使い地道に理解を広げようとしている努力に共鳴した。店のますますの繁昌を願いながら盃を重ねているうちに雨の気仙沼の夜は更けていった。はたしてこの店は、あのおやじさんは今どうしているだろう。 (写真は唐津 中里太亀作)