大阪の御堂筋を歩いていたら地下鉄本町駅のすぐ近くに写真のような石柱が建っていた。下の方が埋もれているが、「此附近芭蕉翁終焉ノ地ト伝フ」 「昭和九年三月建之 大阪府」 と彫ってあるが、ここは広い通りの中の緑地帯になる。

 

 この石柱のすぐ前に建つ大きな建物は南御堂 難波別院で、真宗大谷派の由緒ある寺院。史蹟芭蕉翁句碑と彫った大きな石柱があったので尋ねてみたが、句碑は本堂南側の庭の一隅に建っていた。

 

  旅に病てゆめは枯野をかけまハる はせを

 

 お寺でもらった資料によると、松尾芭蕉はこの南御堂の前にあった花屋で1694 元禄7年10月に51歳の生涯を閉じたそうだが、その花屋のあった場所が今は道路になってしまったので、さっきの石柱が道路の中に残されることになったことが分かった。

 

この句碑は1843 天保14年芭蕉の150回忌記念に建てられたようで、碑の裏に当時の3名の俳人の名が刻まれている。句碑の文字ははたして芭蕉の真筆だろうか?

 

 調べてみると、1596 文禄5年に建てられた大谷本願寺がここ難波別院に移ったのは1598年で、やがて1602 慶長7年に京都に東本願寺が建てられるまではここが真宗大谷派の本山だった。こうした歴史を伝えるものに 「大谷本願寺」 「文禄五年」 の銘のある大きな梵鐘が今も境内にある。

 

 別院のすぐ北は船場、南は心斎橋でこの辺りは今も大阪の中心地だが、御堂筋の御堂はこの南御堂 難波別院のことだろうか?

 

 芭蕉は琵琶湖南の膳所(ぜぜ)にある義仲寺に眠っているが、ここ難波別院では毎年11月に芭蕉忌法要と句会が盛大に行われるという。

 

 前回の鉄道の父の墓といい、今回の芭蕉のことといい、街を歩いていると思わぬものに出会うのも散歩の楽しみの一つだろう。永井荷風は東京の街の散歩を楽しみ 『日和下駄』 という本を遺した。と言っても興味のない人にはどうでもいいことだろうが。