コロナウィルスの感染もようやく下火になり希望が見えてきました。

感染者ゼロという岩手県の皆さんに敬意と拍手を捧げます。

 

今日はかつて訪れた岩手県立美術館(盛岡市)

松本竣介・舟越保武展示室でみた舟越の作品を紹介します。

 

舟越保武(1912~2002)は岩手県の出身で、

佐藤忠良らとともに戦後日本を代表する彫刻家の一人です。

松本と舟越は盛岡中学校の同期生で生涯親友でした。

 

珍しく撮影自由でしたので作品を紹介できますが

少しずつこうした展示が増えてきたことはうれしいですね。

 

 

 

 

 

 

 

「長崎26殉教者記念像」1962年のうちの4体です。

長崎の丘の上、殉教の地1596年)にこうした像が26体、横一列に並んでいます。

依頼者は殉教の悲惨な様子を考えたそうですが

舟越は丹念に史実を調べ上げて殉教者一人一人を内面化し、

崇高な姿をもって殉教の事実を造形化したのでした。

 

「職業・年齢・生国を調べ、わずか一行たらずの言行の記録でも、

その人の風貌を決めるよすがとなった。粘土の原型が出来て、

その顔がもの言うように思われるまで制作を続けた」(舟越保武)

 

 

 

 

 

「原の城」(1971年)の上半部で、目と口が空洞のようになっています。

島原の乱(1638年)で死んだ多くのキリシタンの魂を造形化しました。

 

「私はこの丘の本丸趾に続く道に立って、この上の台地の端に討死した

キリシタン武士がよろよろと立ち上がる姿を心に描いた。

雨あがりの月の夜に、青白い光を浴びて亡霊のように立ち上がる姿を描いて見た。

あの段々畠の土の中から掘り出した、という気持ちで 「原の城」 と名づけた。」(舟越保武)

 

 

 

 

 

「ダミアン神父」(1975年)の上半部です。

ハンセン病患者に尽くし、自らも発病して亡くなった実在のベルギーの神父像です。

どの作品にも作者の深い精神性・宗教性がうかがえます。

 

「ただ私はこの病醜の顔に、恐ろしい程の気高い美しさが見えてならない。

このことは私の心の中だけのことであって、人には美しく見える筈がない。

それでも私は、これを作らずにはいられなかった。

私はこの像が私の作ったものの中で、いちばん気に入っている。」(舟越保武)

 

 

 

 

 

「聖セシリア」(1980年)です。セピアの砂岩を彫った落着いた作品です。

舟越の彫刻の魅力の一つは若い女性像にあります。

いくつもの彫刻と数多くのデッサンは私をひきつけてやみません。

 

「うつむいた顔を描く どこかに視線をむけた顔は その視線の先を思わせるから

 気が散ってしまう うつむいた顔は、声なく 私と対話する」(舟越保武)