1945 昭和20年3月10日未明、約300機のアメリカ軍爆撃機B29による東京下町を目標とした無差別爆撃が 「東京大空襲」 で、下町は火炎地獄と化し、罹災者は100万人をこえ、推定10万人もの命が失われた。広島・長崎の原爆に匹敵する悲惨な戦禍で、東京はこの日も含めて100回以上の空襲を受けて市街地の60%を焼失したという。

 

 上の写真はこの戦禍のもっとも大きかった地域に当たる妙久寺(江東区北砂2-1)に建つ供養碑で、墓地の古い墓石には強い火に焼かれたものが多くみられる(写真)。 

 

 こうした供養碑・慰霊碑は被災地のあちこちにたくさん建っている。私はこの大空襲で生まれ育った家を永遠に失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

蘩〇(はこべら・註)や 焦土の色の 雀ども 波郷

 

 境内に建つ俳人石田波郷(1913~69)の句碑。波郷はこの大空襲で夫人の母と 2人の妹を失った。戦後しばらくこの寺の隣に住み、焼野原の砂町の風景と人々を詠んだ多くの俳句を残した。

 

 註:〇は草かんむりに婁の字 ハンルで、はこべ・はこべらのこと(春の七草)。