岩波文庫に 『北斎 富嶽三十六景』 があります。(2019年1月刊)

1枚の絵を2ページにそれに解説2ページ、なかなか楽しい本です。

上の絵は 「江都駿河町三井見世略図」

ずいぶん長い題だが、日本橋三越から見た富士山ということ。

 

この辺り今は室町だが、昔は富士山が見えたので静岡県から駿河町になった由

見どころは大火後再建中の三越の屋根の破風と富士山との大小の三角の対比

解説でも触れているが、こういう眺めは多分実際にはなかっただろう。

 

三越前の通りはほぼ南北で、屋根の棟は普通通りと平行になる。

絵は東西に棟がある大きな建物を東から見たことになるからだ。

富士山に合わせて建物の向きを変えたのだろうか?

 

 

 

 

 

 

次の絵は日本橋からの富士山の眺め

手前に雑踏の日本橋、両岸に並ぶ蔵の向こうに江戸城(皇居)が見える。

左に3層の櫓(やぐら)、右に2層の櫓

明暦の大火で壮大な天守閣も御殿も焼失、ついに再建されなかったので

3層の富士見櫓が天守閣の代わりになったといいいます。

名前通り富士山をはじめ江戸の城下がよく見えたようです。

 

下の写真は2層の桜田巽(たつみ)櫓と向こうには富士見櫓

上の写真は富士見櫓を大きくしました。

木が邪魔ですが昔はなかったでしょう。

切絵図を見ると日本橋の両岸には蔵が並んでいます。

北斎の絵は実景を伝えているようです。

 

明治以降の歴史は、東京から富士山の眺めが

失われていった歴史でもあったようです。

(北斎の絵はネットから拝借しました。)