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釈迦堂では多くの人が集まったが、一遍は次に因幡堂へ行った。ここへは前内大臣土御門入道(出家していた)が訪ねてきて問答をしている。さきの釈迦堂に高級な貴族の牛車が描かれているのもなるほどと思われる。

「聖絵」にはこれより前1279 弘安2年春に因幡堂に参った時の出来事が描かれている。あまりにみすぼらしい一遍の姿を見て寺の僧が「泊めるところはない」と断ったので、やむなく縁に寝たところその夜住職に「客人を大事に」との本尊の夢のお告げがありあわてて一遍をお堂の中に招き入れたという。

印刷の都合で2つに分かれているが上の絵はその場面。住職と一遍が話している右のほうでは慌ててタタミ(?)を運んでいる寺男。「聖絵」には続いて因幡堂の縁起が書かれている。

一遍が釈迦堂に参ったのは1284年だからこの 5年の間に一遍の名は都に知れ渡ったことになる。

 

 

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10世紀末のこと因幡(鳥取県)国司橘行平が夢のお告げで海中から薬師如来像を得て安置。京に戻ったところ薬師如来が橘の屋敷に飛来したので1003 長保 5年に自邸を改造して安置したのが因幡堂の始まりで以後多くの人々の信仰により今日に至ったという。

現在の建物は明治初年の再建だが本尊薬師如来像は藤原時代の作(重文)。因幡堂創建当時の像と考えられる。私が尋ねた時も参詣の人が絶えなかった。本尊薬師如来像は、嵯峨釈迦堂の釈迦如来像・長野善光寺の阿弥陀如来像とともに日本3如来像というそうだ。
(因幡堂は烏丸通松原東入ル)(「聖絵」の写真は「日本の絵巻20 一遍上人絵伝」中央公論社による)