石川啄木終焉の地(文京区小石川 5-11-8)に歌碑が建ったのは2015 平成27年 3月である。啄木がこの地の貸家で亡くなったのは1912 明治45年 4月だから、没後103年の年に建ったことになる。わずか26歳で亡くなった啄木が今なお多くの人々にとって忘れられた存在ではないことを示しているといえよう。
 
 歌碑は高さ 1m くらいの花崗岩で、啄木の故郷岩手県姫神山の産だそうだ。嵌め込まれた陶板には啄木最後の歌とされる2首を原稿用紙に書いたものがそのまま拡大されている。歌碑としては大変珍しものだろう。
 
  呼吸すれば、/胸の中にて鳴る音あり。/凩よりもさびしきその音!
  眼閉づれど/心にうかぶ何もなし。/さびしくもまた眼をあけるかな
 
 啄木の第二歌集 『悲しき玩具』 は没後 2か月の1912年 6月の刊行だが、親友土岐哀歌が啄木の亡くなる直前に預かったノートをもとに編集した経緯は歌集の 「あとがき」 に詳しい。歌碑となった 2首はノートにはなく後に発見されたものだが、おそらく啄木が最後に詠んだ歌であろうということで歌集の最初に掲載されたという。
 
  わが病の/その因るところ深く且つ遠きを思ふ。/目をとぢて思ふ。
 
  啄木一家のいのちを奪ったのは肺結核だが、歌に込められた深い悲しみ、諦めに涙する思いを止めることができない。
 
 歌碑の隣には高齢者用施設の一部を利用した小さな顕彰室が歌碑と一緒に出来た。歌碑の出来た経緯、啄木と文京区との関係(啄木が東京で住んだ4か所はいずれも文京区内)などの解説や手紙の複製などが展示されている。とても親切な心配りで啄木ファンにはうれしいことだろう。