この空気
  この音
  オレは日本に帰ってきた
  帰ってきた
  オレの日本に帰ってきた
  でも
  オレには日本が見えない
  空気がサクレツしていた
  軍靴がテントウしていた
  その時
  オレの目の前で大地がわれた
  まっ黒なオレの眼漿
(がんしょう)が空間に とびちった
  オレは光素
(エーテル)を失って
  テントウした
  日本よ
  オレの国よ
  オレにはお前が見えない
  一体オレは本当に日本に帰ってきているのか
  なんにもみえない
  オレの日本はなくなった
  オレの日本がみえない
 
 1940年、日本大学専門部(現芸術学部)映画科に入学して青春の日々を過ごしていた三重県伊勢出身の一青年-竹内浩三は1942(昭和17)年10月入営、翌年 9月に茨城県筑波の滑空部隊に移り演習に明け暮れる。1944年12月ルソン島に向かう。

 1945年4月9日、「比島バギオ北方一〇五二高地方面の戦闘に於て戦死」 との公報が敗戦 2年後の1947年 6月家族のもとに届いた。

 竹内は東京に居る同郷の友人たちと同人雑誌 「伊勢文学」 を創刊して詩や小説を発表。 筑波では手帳に毎日の出来事や感想を書きつけ、宮沢賢治の本の中をくりぬいてその中に手帳を埋めてただ一人の姉に送った。
 
 『戦死やあわれ』(岩波現代文庫)に収録された竹内の詩文や書信は、戦時下の日本で国家の力によって自己の未来を不確定に、いや限りなく絶望的にされていった青年の魂の叫び を読むものに訴えてくる。

 2001年 7月に発見された日大時代のドイツ語教科書の見返しに書かれていた詩 「日本が見えない」 に私は胸を打たれた。当時の日本を痛烈に否定する魂の叫びが、同時に半世紀余を経た今日の日本に対する痛烈な批判ともなっていることに。
 

 
 竹内浩三はユーモアに富んだごく普通の青年だった。映画を学び、詩や小説を書き、本を読み、クラシック音楽を愛し、恋をし、恋に破れ、友人たちと酒を飲むといった日々を過ごしていた。しかし彼の大きな可能性を秘めた豊かな才能はすでにキラリ、キラリとその作品に輝いていた。名曲のメロディーをイメージした詩 2編。
 
    メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルト

  若草山や
  そよ風の吹く
  大和の野 かすみ かすみ
  そよ風の吹く
  おなごの髪や
  そよ風の吹く
  おなごの髪や
  枯草のかかれるを
  手をのばし とってやる
  おなごのスカアトや
  つぎあとのはげしさ
  おなごの目や
  雲の映れる
  そよ風の映れる
  二人は いつまでも と
  その言葉や
  その言葉や
  そよ風の吹く
 
   モオツアルトのシンホニイ四〇番

  大名行列の
  えいほ えいほ
  殿
  凱風
(がいふう)快晴
  北斎の赤富士にござりまする
 
 戦争は、彼のような青年の多くの命を非情にも奪っていった。
 
   (うた)をやめはしない

  たとえ、巨
(おお)きな手が
  おれを、戦場を
(に)つれていっても
  たまがおれを殺しにきても
  おれを
(は)、詩をやめはしない
  飯盒
(はんごう)に、そこ(底)にでも
  爪でもって、詩をかきつけよう
 
 敗戦後の日本は新しい憲法で、戦争を二度としない 「普通ではない国」 となることを世界に約束した。しかし、多くの人たちの努力にもかかわらず、残念ながら今の日本は、時には戦争を支持したり加担したりすることがあっても不思議ではない 「普通の国」 になろ うとしている。
 
 敗戦後の日本が大切にしてきた憲法や教育基本法やもろもろのものが 「時代の変化」 の言葉とともに崩れてゆき、そこに見えてきたのはふたたび日の丸と君が代だ。
 
 「普通ではない国」、徹底的に平和に立脚する政治や外交で世界に必要とされる国になる理想が、いまや見えなくなりそうになっていないか。
 
 今こそ戦争で命を絶たれた青年たちの無念の思いにこたえようとした、あの敗戦直後の出発点にもう一度立ち帰るときではないのか。
 

 
 竹内浩三の代表作とされる詩 「骨のうたう」 は、1956年に同人雑誌の仲間の一人が原型詩に手を入れて公表されたという。詩としての完成度は高くなったといえようが、以下の原型詩からは竹内の思いがよりよく伝わってくるように私は思う。
 
  戦死やあわれ
  兵隊の死ぬるやあわれ
  とおい他国で ひょんと死ぬるや
  だまって だれもいないところで
  ひょんと死ぬるや
  ふるさとの風や
  こいびとの眼や
  ひょんと消ゆるや
  国のため
  大君のため
  死んでしまうや
  その心や
  苔いじらしや あわれや 兵隊の死ぬるや
  こらえきれないさびしさや
  なかず ほ咆えず ひたすら 銃を持つ
  白い箱にて 故国をながめる
  音もなく なにもない 骨
  帰っては きましたけれど
  故国の人のよそよそしさや
  自分の事務や 女のみだしなみが大切で
  骨を愛する人もなし
  骨は骨として 勲章をもらい
  高く崇められ ほまれは高し
  なれど 骨は骨 骨は聞きたかった
  絶大な愛情のひびきを 聞きたかった
  それはなかった
  がらがらどんどん事務と常識が流れていた
  骨は骨として崇められた
  骨は チンチン音を立てて粉になった
  ああ 戦死やあわれ
  故国の風は 骨を吹きとばした
  故国は発展にいそがしかった
  女は 化粧にいそがしかった
  なんにもないところで
  骨は なんにもなしになった
 
 たった一人の姉のもとに戦死の公報とともに届いた白木の箱には遺骨は入っていなかっ た。竹内浩三の骨は異国で土に帰った。弟の死を悼んで詠んだ姉の歌。
 
  一片の骨さえなければおくつきに 手ずれし学帽ふかくうづめぬ
 
 竹内の姉の深い悲しみは、1300年ほど前に伊勢神宮に仕えていた大伯(おおく)皇女の味わった悲 しみと重なるように感じられた。
 
 愛する弟大津皇子が権力によって命を奪われたことを悲しんで詠んだ歌。(『万葉集』巻二)
 
  うつそみの人にある我れや明日よりや 二上山を弟背(いろせ)と我れ見む
  磯の上に生
(お)ふる馬酔木(あしび)を手折らめど 見すべき君が在りと言はなくに
 
 
 なお藤原書店から 『竹内浩三全作品集 日本が見えない』 『竹内浩三集』 が出版されている。