昨年は彫刻家ロダンの没後100年にあたった。彫刻家高村光太郎が翻訳した『続ロダンの言葉』(1920 大正 9年刊)の序文で光太郎は1917年11月に没したロダンについて、「此書を以て ひそかにロダンの死を追悼したかったのである」と述べている。そして「遺稿」として「若き芸術家達に」をこの本の最初に載せている(これは1911年にポール・グセルの筆記したものだが、ロダンが生前の発表を押さえていたという)。
 この中で、ロダンは、
 
「自然」をして君達の唯一の神たらしめよ。
彼に絶対の信を持て。彼が決して醜でない事を確信せよ。そして君達の野心を制して彼に忠実であれ。
 
と言っている。この「自然こそが美の根源」といった考えは 『ロダンの言葉』正・続 で繰返し語られている。
 また『ロダンの言葉』(1916 大正 5年刊)に収められている「クラデルの筆録」では、

自然を狭義に模写する事は全く芸術の目的でありません。自然から取った石膏型よりも確実な模写は得られません。が其は生命が無い。動勢も無ければ雄弁も無 い。まるで口をききません。無くてならぬものは誇張です。・・・過激を有する面(プラン)の、此の誇張は、反対的に他の部分に繊細と優美とを持って来ます。・・・彫 刻では、すべてが、面の肝腎な線を求めながら肉づけをしてゆく其の仕方に関係 します。
 
とも語っている。ロダンが彫刻における自然-生命の表現をどのように考えていたのかを知ることが出来よう。  
 では、ロダンは実際にはどのようにして作品を制作していたのだろうか。光太郎の『ロダンの言葉』にもその一部が収録されているが、それよりも早く翻訳されたポー ル・グセルの 『ロダンの芸術観』(木村荘八訳 1914 大正 3年刊。1912年刊の英訳本からの重訳)には、次のように描かれている。

氏の工房へ行くと裸形のモデルが幾人も台に乗ってゐたり休んだりしてゐる。ロダンは、断へずあらゆる生動の自由を以て動いてゐる裸形を自分に示す様にとモデル達をさせてゐる。彼は休みなくそれを観察してゐる。長らく以前から氏が動いてゐる時の筋肉の様子と親しんで来たのは、かうしての上である。・・・どの筋肉にしろ内に匿れてゐる感覚を現はさないものは一つもない。何れも之れも喜悦か苦悩、執心か失望、平静か狂激を語ってゐるのだ。・・・そしてこれかあれかが運動をして、それが自分を喜ばせれば、ロダンは直ちにその姿勢を保つ様にと云 ひ付ける。素早く粘土を手にする、と小さな像が出来上ることになる。 
 
 複数のモデルの動きを観察し、デッサンし、ポーズが決まるとそれを小さな作品にする。そしてそれを大きな作品に育てていく。あの魅力的な多くのデッサンはこうした過程で生み出されたのだろう。

 そこでグセルは、ロダンの作品に不自然なポーズが多いのについて、「貴方は御自分で抑揚をつけたの、調子を付けたの、誇張したのとお云ひになる。 ホラ、左様では ありませんか、貴君は自然を変形したのです。」 とロダンに問いかける。すると彼は、   

芸術家は自然を当り前の人の見る様には見ないと云ふことを自分は是認してゐる。 芸術家の感情は, 現はれてゐる表面の影に潜む真実をも見顕はせるからです。・・・「見る」と云ふのが万事です。 さうです。自然を引き写しにしてゐる凡庸の人には, 到底芸術作品は出来ません。 全く 「見入る」 ことをしないで眺めてゐるからです。 

と答えている。このようなロダンの言葉や事実は、彼の彫刻の特色が奈辺にあるかをよく物語っているように私には思われる。

 
 
フギット・アモール  静岡県立美術館
 
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 荻原守衛とともに日本における近代彫刻の出発点に立つ高村光太郎は、『造型美論』(1942年刊)に収められた文章で
 
如何なる時にも自然を観察せよ。自然に彫刻充満す(「彫刻十個条」1926年)
 
造型美術の本質は、われわれの内部に起る価値感の表現に由来してゐて、自然形象のうしろにある、或は形象の内にあるとわれわれの感ずる力価を表出して、其処に確実な存在感を求め、更に進んで高度な充実感、拡充感、満ちあふれるもの、有り余るもの・・・すべてさういふ類の生命感をそれぞれの技術によって得ようとするいとなみである。(「素材と造型」1940年)   
           
彫刻家は邪魔な著衣を棄てて、人といふ自然を裸体に求めるのである。・・・裸体の四肢胴体の量の均衡、動勢の傾きは汲めども尽きない造型的構成の源泉であり、それは遠く宇宙の構成理法を示す(同上)
 
と述べており、彼の彫刻観がロダンのそれと同じものであることを示している。
 
 光太郎の彫刻に手をつくった作品がいくつかある。その形を真似しようとすると出来そうでできない。しかし、その手は間違いなく生きている人のものだ。木彫りの蝉や蓮根がある。そこには確かにいのちが宿っている。『続ロダンの言葉』の序文で光太郎は、

私が今後どの位ロダンと離れた道を行くやうにならうとも、ロダンは、永久に私の心の中に高く聳えてゐるであらう。そして常に私の感謝の対称となる事だらう。 ロダンを心に持つ事はやがて私を不断の幸福に導く事と思ふ。 
 
と言っている。 
   ところで、パリでの彫刻修業に行きづまって自ら希望して帰国した光太郎の、1910 年から14年までの内面の軌跡を物語るいくつもの詩を時系列に編んだ第一詩集『道 程』(1914年刊)は、その前半に青年光太郎の深い絶望感と再起の意志を示す詩が並ぶが、長沼智恵子との出会い以後の後半になると、厳しい人生に立ち向かおうとする彼と重なるように自然がしばしば登場してくる。

私は自分のゆく道の開路者(ピオニエエ)です/私の正しさは草木の正しさです(「人類の泉」)   
             
自然を忘れるな自然をたのめ/自然に根ざした孤独はとりもなほさず万人に通ずる道だ(「冬の詩」) 
           
僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る/ああ、自然よ/父よ/僕を一人立ちにさせた広大な父よ/僕から目を離さないで守る事をせよ/常に父の気魄を僕に充たせよ/この遠い道程のため/この遠い道程のため(「道程」)
 
 ここに語られる自然は、明らかに人間の生き方や天地のあり方を示すものとして表現されており、中国の伝統的な思想と通じる日本的な、あるいはアジア的な自然観といえるのではないだろうか。前近代の欧米においても自然は大きな意味をもったと思われるが、しかし、欧米近代の、自然に人間を対置するような、人間にとって自然は研究・征服・支配の対象であるとする自然観とは決定的に異なる。「生命こそ自然の根源」としたロダンや光太郎の彫刻は「人間が人間である根源を自然」に求めたものであったといえるであろう。
 
*  *  *
 
 映画「ロダン-カミーユと永遠のアトリエ」を観た。没後100年を記念して制作されたもので、ジャック・ドワイヨンが監督、ヴァンサン・ランドンがロダンを、イジア・イジュランがカミーユを演じている。

 「ロダンの愛と苦悩に満ちた半生を忠実に描いた力作である。」「新しいロダンの肖像として美術愛好家にはもちろんのこと、天才であるがゆえの孤独を抱えた一人の芸術家のドラマとして、多くの映画ファンを惹きつけるに違いない。」とチラシにはあるが、私には不満が残った。

 <地獄の門>にみられるロダンの彫刻制作のありよう、<バルザック像>をめぐる依頼者との確執。また、モデルたちを自由に動かせてスケッチするロダンの光景はさきに紹介したポール・グセルの描写を参考にしたものであろうが、シャルトルの聖堂において動物の彫像に感動するロダンのシーンには違和感を持った。

 ロダンはこのシャルトルの聖堂を訪ねたときの感想を『フランスの聖堂』(新庄嘉章訳、二見書房、1943年刊)に書き残している。晩年の1914年の刊行で100年ほど前になるが、この聖堂について「これはフランスのアクロポリスではあるまいか?」とその感動を記している。

 彼は彫刻家らしく聖堂の構造と数多の彫像をつぶさに観察して 「パルテノンの光栄ある創造者よ、ここに諸君の兄弟の、諸君と肩を並べ得る者の作品を認めてくれ給へ。彫刻に於ける野天の偉大な技法については、ゴシックの芸術家達は諸君と同じ位に知ってゐたのである。」「私は、諸君の通った跡を、同時に、彼等の歩んだ跡を歩かなかったであらうか?ギリシャの巨匠よ、ゴシックの巨匠よ、私はかのバルザックの像を以て、稍々諸君に近づかなかったであらうか?」 と、ゴシ ックの美はギリシアの美を継ぐものであり、私(ロダン)の彫刻はそれを継ぐものであると、おのれの彫刻が美の歴史の正統を継ぐものである自負を語っている。そして次のような感想を記している。

今朝、少女達の行列が既に私の来る前に来てゐた。私は、聖堂の諸々の像が呼吸をして、身動きをしてゐるのを見るやうな思ひがした。像が壁から降りて来て、身廊の中で跪いてゐるのだ。これらの像と少女達とは、なんと似通ってゐること か!それは同じ血で繋がってゐるのだ。(中略)十三世紀より今世紀に到るまで、長い歳月が経ってゐるにも拘らず、その本質的な要素に於て変らなかった自然は、これら偉大な観察者達の誠実さをわれわれに証明してゐる。彼等は国土の優しい自然を模写した。彼等は、神がわれわれの時代の女性達と同様に彼等の時代の女性達の顔の上にも惜し気なく撒き散らし給うた優美さを再現した。古への自分達の苦悩や希望をわれわれに物語ってゐる石の聖女達は、わがフランスの片隅の女性であり、また現代の女性である。   
 
 ここには、「彫刻とは何か」といった問いかけにたいするロダンの答が示されているように思われる。
 映画には当時フランスにいた日本人芸人花子がモデルとして登場し、最後には突然箱根彫刻の森のバルザック像が登場する。肝心のロダンとローズとカミーユとの愛と憎しみ、彫刻家としての二人の愛憎はどうか。私には上のさまざまなエピソードが邪魔して踏み込みが足りないと思えた。要は没後100年記念の映画としてはよい出来とは言えないというのが私の感想である。
 映画「カミーユ・クローデル」(1989年公開)をDVDで改めて観た。ジェラール・ドパルデューとイザベル・アジャーニが演ずるロダンとカミーユの愛憎とその悲劇的な最後には心を打たれるものがあった。映画としてはこちらの方がよい出来というのが私の結論だ。
 
芸術家は自然を当り前の人の見る様には見ないと云ふことを自分は是認してゐる。
芸術家の感情は, 現はれてゐる表面の影に潜む真実をも見顕はせるからです。

ロ ダ ン