奥の深い福島県の会津地方と豪雪で知られる新潟県の魚沼地方を結ぶJR只見線が外国人旅行客に人気だと先日のテレビが報じていた。只見川に沿って山の中をくねくねと走る車窓からの眺めは鄙びたいくつもの温泉、山の珍味とともに大いに魅力的だからだろうか。
 
 ところが只見線は2011年7月の豪雨のために不通となり、今も会津川口駅と只見駅間の 27.6km は列車が走っていない。JRはなぜ復旧を急がないのだろう。例によって採算性の問題なのだろうが、それではローカル線の未来は暗いばかりだ。地域の人たちの生活を守るとともに、観光大国日本を目指すならば美しい自然の中の鉄道王国日本の文化遺産として国がその維持にもっと手を差し伸べて欲しいと切に思う。
 
 大雪が降るとよく不通になった只見線の雪景色を一度見てみたいと、雪の季節に会津若松に出かけたのはもう10年も前のことになる。以下はその時のようすと写真である
 

 

 記録的な大雪に見舞われた青森県の五能線で除雪のために走ったラッセル車が雪に乗り上げて脱線したと新聞が報じ、中越大地震の被害地にも19年ぶりの大雪が追い討ちをかけていたが、豪雪で知られるJR只見線の小出 ・ 只見間が積雪のために 1月31日から不通になっていると私が知ったのは 2月23日に会津若松駅に降りた時 だった。新潟県側の積雪が多すぎてラッセル車だけではだめで、人の手も借りて除雪 したために不通が長引いたという。

 この日東京には春一番が吹いたが、会津若松の街には寒い風と雪が吹き荒れていた。 「只見線は明日開通の予定ですがこの雪ではどうなるか分かりません」という駅員の言葉に、車窓から豪雪地の雪景色を見ようと思っていた私はいささかがっかりした。とりあえずその晩は雪の降る寒い町に出かけた。

 町の中は除雪されているので雪はそれほどでもないが、細い道には雪が積ったままになっており、秀吉の時代にここ会津を治めた知将蒲生氏郷の墓地はすっかり雪に覆われていた。私の探していた酒亭ぼろ蔵はこの氏郷の墓地の近くにあった。「心地よく酔いながら、この店があるなら会津に引っ越してきたいと本気で思った。」と書いてある新聞のコラムを読んで、いつか訪ねてみようと思いながらもう一年半も経っていた。

 

 
 

  古い土蔵を利用した店の入口には明りの入った行灯(あんどん)に店の名がほのかに浮かんでいる。とにかく寒い夜で、店の中に入ると眼鏡は曇ってしばらく使い物にならない。薄暗い店内 のカウンターの相当に使い込んだ厚い板がこの店の歩んだ年月を示しており、席が10ばかりあった。あとは店の奥のテーブル席と蔵の2階を利用した席が少しあるだけだ。 雪が降ったせいか客は一組だけで店内は静かだった。

 カウンターの席に座ると渡り蟹のダシがおいしい豆腐・シイタケ・ネギなどの入った汁が出た。からだが温まりホッ とする。酒は会津の雪がすみの郷
(純米本生うすにごり)・飛露喜(ひろき、特別純米無ろ過生原酒)・会津城を飲む。この時期の酒は生がおいしい。飛露喜 は小さな蔵のため生産量が少なくてなかなか飲めない酒とのことだった。どれも優しい口当たりのおいしい酒だ。

 物静かなおかみさんとポツリポツリ話しながら飲んでいると、フキノトウ・ウドの芽・ムカゴ・ギンナン・朝鮮ニンジン
(会津の新鶴産)の天ぷらが出てきた。ほかの客の注文の品もいつのまにか出来上がっている。実に手際よいのに感心する。身欠きニ シンを酢に漬けた手作りの会津名物山椒ニシンもおいしかった。やがて会津坂下(ばんげ)に行 ったので馬刺を買ってきたというなじみの客が現れてひとしきり酒と飲み屋の話に花が咲いた(会津坂下の馬刺はおいしいので知られている)。おかみさんはいやな顔もしないで馬刺の面倒を見ている。蕎麦がきのお焼に山芋をかけたのが出てきた(蕎麦粉は山都産。 会津は蕎麦の産地)。初めてだが風味があっておいしい。

 やがて四、五人の女性客が2階の席に通る。「会津の女性はよく酒を飲みます」 とおかみさんがポツリと言った。おかみさん自身は酒を飲まないそうだが、店の酒は種類は少ないがよく選ばれているようだ。地元の酒に地元の食材をうれしく味わう。やはり雪のせいだろうか、客が立て込むこともなく静かに時間が過ぎていった。この静かにゆっくりと時間が経つひとときが私にはなにものにも代えがたい思いだ。最後に出してくれた一杯の名前のない濁り酒が効いた。からだも心も温まって外に出ると、暗い夜の街には相変わらず寒い風と雪が舞っていた。

 


  
 
 
翌日は幸い雪が止んで曇り空だったが、雲が高いので今日は何とか天気は持ちそうにみえた。駅で聞くと只見線は予定通り全線動いているという。ところが小出まで行く
のは早朝発の次は13時8分発まで待たなくてはならない。仕方なく街を散歩していると鰻を焼くいい匂いがしてきた。創業95年の老舗だそうだがそこで昼の腹ごしらえをしていよいよ只見線の列車に乗り込んだ。

 列車はしばらくは会津盆地をUの字状に進むので雪に覆われた田畑が広々とひろがり、その向うに会津の山々が白く連なっている。柳津の少し手前からいよいよ只見川に沿って山あいを走るようになる。白一色の高い山と違って白い山肌と常緑樹・落葉樹が造る景色のさまざまな変化が眺めるものを決して飽きさせない。この時間の主な乗客は高校生で潮の満ち干のようにいくつかの学校の生徒がまとまって乗っては散っていく。こんな寒いところでも女子生徒は東京と同じミニスカートで携帯電話を大切
そうに持っていた。
 
 
 
 
 

 尾瀬沼や尾瀬ヶ原の水が流れ込む只見川は上流に田子倉ダムがあって湖となっているが、この下流にもいくつかのダムがあるので川の流れはだんだん緩やかとなり早戸駅の辺りからは細長い湖水化してくる。沿線の草葺きの民家はみなトタンをかぶせてあり、その他の建物もほとんどがトタンや瓦葺きだが屋根の色が赤・青・黒なので雪景色の中で見るとこれはこれで絵になっている。白い山と雪を被った樹木、厚く積った雪、色とりどりの民家の屋根、湖水のような川面、それに時には赤い橋桁や雪よけトンネルの赤い柱、これらが組み合わさって車窓に展開するさまざまな景色は本当に飽きることがない


 
 
 
只見駅に着いたのは16時13分、すでに 3時間乗っているがまだ福島県だ。駅名に会津とついているのが多い。只見駅の線路の脇の雪が車窓の半分以上を隠してしまう(写真)。 いよいよ雪の深い新潟県との県境に向かう雰囲気だが、実は次の田子倉駅までは長いトンネルで田子倉を出るとまたすぐ長いトンネルに入る。このトンネルの上が県境で、これを出るとしばらくして新潟県最初の駅大白川に着くが、ここも雪が深かった。

 大白川から小出までは
45分かかったが、平坦地になっても豪雪地帯だけあってさすがに雪が深い。道路は除雪されているが交差点の雪の壁が人の背丈ほどもあったり、踏切りの標識灯が雪に埋れかけていたりする。もしこれで道路が除雪されていなければ、住んでいる人たちは本当に雪に埋れて長い冬の季節を堪えるしかなかったのだろうと、その大変さを少し実感できたように思った。
 
 
 
 
 


 小出駅に着くまで会津若松駅を出発してから 4時間半、東海道新幹線なら東京から広島まで行ける時間だ。雪たっぷりの景色を堪能した 135.2km の鉄道の旅だったが、小出駅での接続が悪く上越線に乗るのに60分も待つことになり、仕方なく駅前の蕎麦屋で岩魚の塩焼きに数杯の酒で雪の只見線に別れを告げたのだった。