カラーボトルさんの「10年20年」という歌を知ったのは、

「オードリーのオールナイトニッポン」のエンディングがきっかけだった。

 

通常放送ではザ・フラテリスさんの「A Heady Tale」がエンディングに流れる。

軽快な洋楽で、この曲をBGMにエンディングトーク、そしてその日の放送の

盛り上がった部分等が編集されたものが流れる。

この曲も好きだ。

 

「10年20年」が流れるのは、スタッフさんが番組を卒業する回だけだ。

オードリーのオールナイトニッポンのリスナーのことを「リトルトゥース」という。

ぼくがリトルトゥースになったのは若さんの本がきっかけだったので、

まだ1年も経っていないので、この曲は聴いたことがなかった。

 

たまたま過去の放送を聴いたらこの曲がかかっていて、すぐに調べた。

「自分で決めた道だから 自分で決めた道だから」という歌詞がある。

 

ぼくは高校3年生の時、どの大学に行くか、自分では決められなかった。

○○大学に絶対行きたい!とか、志望校がしっかりある友達が少しうらやましかった。

高3の秋になっても決められず、結局姉の通っていた大学に入ることにした。

国立大に入ってみたいと思ったけれど、そのために勉強をがんばってみようとも思えなかった。

姉の大学は何回か自分も連れて行ってもらって施設など知っていたし、

頭が悪い学校ではなかったので、その学校を受験した。

合格した時の達成感は全然無かった。高校に受かった時のほうが感動した。

「この高校に絶対に行きたい」と思い勉強した中3の自分と、

「この大学でいいや」と思い勉強した高3の自分。

当然高3の時のほうが勉強した量も時間も多かったはずなのに、

取り組み方で結果の受け取り方はこれほど変わるものかと思った。

自分で決めた道でないと達成感がないし力が継続しない。

この時に学んだはずだった。

 

大学4年の4月、周りが就活を始める中、ぼくは企業の面接ではなく、

大学の就職支援センターに毎日通った。

大学院に行きたいとぼんやり考えていたものの、大学院にまた通って

その後就職できるのか、など悩んでしまい、自信を無くして、

ギリギリ(正確に言えばギリギリアウト)のタイミングで就活に切り替えた。

進学する予定だったので、キャリア系の授業は一切受けておらず、

エントリーシートはおろか、志望理由書の書き方すらわからず、

就職支援センターのおばちゃんに泣きついたのだった。

4月は丸々1ヶ月エントリーシート等の書き方や

面接について知ることだけで終わってしまった。

この1ヶ月で大手企業はあっという間に採用活動を終え、

優秀な学生は就活を終えて遊び始めていた。

5月になってもやりたい職業は見つからなかった。

仕方がないので「地元企業」で「県内転勤のみ」という絞り方をして、

3社ほど試験を受けた。2社は面接まで行った。

生意気にも土日は絶対就活なんかしないと決めていたので、かなりのスロースタートだった。

今思えば自分はなんて能天気だったんだろう。余裕かましてる暇はないくせに。

6月、地銀系証券会社の募集が目に留まり、応募した。

実家のある市の支店で働ける人募集、と書いてあったのが志望動機で、

本当にそれ以外の何物でもなかった。

むしろ株は嫌いだった。悪いイメージがあった。村上ファンドのせいだ。

あの事件は熱狂的阪神タイガースファンである小学校高学年のぼくにも衝撃的だったからだ。

そんな思いとは裏腹に、面接に行ったその日に採用が決まった。

悪く言えば「選ばれてしまった」。

あくまで噂だが、会社で野球部を作ったはいいものの、経験者が足りず、

親元の銀行に負けっぱなしで、銀行OBの社長が怒って野球経験者を欲しがっていたらしい。

それは間違ってもない、というように新人男性の4人中3人が野球部出身だった。

先ほどの2社はまだ面接が残っていたが、他社は受けないという条件付きでの

内定だったのでお断りした。

自分のやりたいことではない道を選ぶとろくなことがないと、2度目でようやく学んだ。

既に長文なので何があったかは省略。

 

「看護師になる」という道は自分で決めた。

今思えば中3以来の自分が望んで進む道だ。

不安なことは山ほどある。

前回書いた通り、いやそれ以上に自分はダメな人間だ。

だけど、自分にちょっと期待もしている。

だって、今回は自分で決めた道だから。

そして、天国からお父さんが見てくれているはずだから。