今日も号泣 | 人生大回りでもいいじゃない

人生大回りでもいいじゃない

ほぼタイトル通りです。
頑張ろうがゆっくりしようが人生なるようにしかなりません。流れに逆らいまくって早くも50歳近くにしてようやくわかりはじめてきました(笑)そんな気づきや日常ブログです

今月は週末に鬼滅の刃があるので、見てるんですけども。

何なら昨年の再放送やらも見ていたんですが😃

(でも映画は見てない)


やはり毎回引くほど号泣します😭


主人公はもちろん、柱や鬼達などそれぞれの絆や悲しみ苦しみなどを見るたびに言い表しがたい思いが胸に塊となって喉がつまり涙が勝手にボロボロこぼれてきます。


私もいまだに肉親や兄弟の絆を求めて焦がれてやまないからでしょうか。

そして多分それは現世では叶わないから悲しいのか。

残念ながら私はやはり親兄弟とは縁が薄いので、どうしても求めても得られない。その代わり子供達には恵まれたのですが。


得られないものほど執着してしまい長年苦しんできて最近ようやく少しずつ手放せるようになってきた感があるのですが。

これも生きている間ずっとやらなくてはいけない課題だろうなと思います。

子供の頃から今までに負った傷の数々。

自分でしか癒すことはできない。


でも昨年見た時は


「私には家族思いの親兄弟はいないから、どうしようもない」


でしたが。


今日は見た時に確かに私は親兄弟との温かい絆はないし、様々な傷を負ったけれどそれでもなお主人公のような温かさを持ちたいと思えました。鬼もこんな風になりたかったと言っていたように。


鬼が首を斬られて消える時に悲しみが伝わり手を添えてあげるシーンは今まで何度も見たのに、そんな風に感じたことはありませんでした。


やはり傷を知っている人間しかわからないことはあります。

それ故の優しさや思いやりは想像しただけの安っぽい同情などではできないものですし深い理解も到底無理です。


私も年はくってるもののまだまだ未熟者なのですが、自己憐憫になるのではなく、持ってない、ないからこその痛みがわかる深みのある人間になりたいです。


読んで頂いてありがとうございます。