何か行動を起こしたい時に、すぐに行動を起こせますか。

いきなり行動を起こせる場合もあれば、過去の出来事による感情や思いが消化されておらず、それがまるで紐づくように足を引っ張り、躊躇してしまうこともあるかもしれません。

例えば、好きな人に告白したいと思っても、過去の恋愛による失敗や、苦い経験、苦しい気持ちが出てくれば、全くのゼロの状態から気持ちを伝えるのが難しいこともあります。

たくさんの経験は人生を豊かにし、多くの学びを与えてくれますが、それによって次の行動を起こせなくなったり、心に抱えた感情を癒すことが出来なければ、新たな一歩を踏み出せなくなるでしょう。

一歩、また一歩と歩みを進めるときに、今までの経験を引きずったり、背中に大きな荷物を抱えながらだと、歩みはだんだん苦しくなります。

ですので、一歩歩いて得たものは、しっかりとその場で感じたり、味わったりするだけで、持って行かない。

そうして、次の一歩を進むときには、また手ぶらで行く。

そうすることで、毎回新鮮な気持ちを味わうことが出来るでしょう。

何かを抱えたり、引きずったままだと、今を存分に楽しめないからです。

では、どうしたらいいのでしょうか。

それは、今この瞬間に思ったことや感情を感じ切る、ということです。

簡単に言うと、思ったことや気持ちに嘘をつかないということです。

 

嘘をつかないというのは、そう感じた、思った、という気持ちをとにかく認めて、そんなことは思ってはいけないとか、考えてはいけないと、思いや感情を否定しないことになります。

例えば、

誰かに対して不満を持ったり、

怒りや悪意を思ってしまった時、

または恵まれていると感じてはいるけれど、感謝が出来ない時。

こんな風に思ってはいけないこう思わなければいけないこう思ってしまう私はダメだ

などと、思いや感情を否定してしまう時、または周囲の人のことを考えたら、素直に感情が出せない時など、

せっかく出てきた思いや感情は、それを味わうことも感じ切ることも出来ずに、不完全燃焼を起こしてしまうのです。

悲しみたいけれど、悲しんだら周りが心配するとか、無理に元気を装ったり、辛い気持ちを押し殺して笑顔でい続けることが、どれだけ感情を押し込めているかは誰の目にも明らかです。

ただ、勘違いしてはいけないのは、思いや感情というものは誰かにぶつけたり、わかってもらおうとするものではないということです。

周りに対して出すものではなく、自分との関係の中で消化するということです。

これは食事をすることとよく似ています。

お腹が減ったら、毎回新鮮な気持ちで食事をするでしょう。

その時に美味しさを味わいますが、昼食を食べるときに、朝食の味がまだ口に残っていたり、お腹の中がいっぱいであれば食べることは出来ません。

ましてや、反芻するように、ずっともぐもぐしていれば、新たに食事をしても、何がどうなっているのやら、口の中がわからなくなってしまうでしょう。

感情を味わいきることが出来ずにいるということは、美味しくない料理なのにずっと飲み込むことが出来なくて、それをもぐもぐしている。

そこに美味しい料理が来ても、もちろん美味しくない、みたいなことをずっと続けているようなものです。

ですから、どんな味でも一旦はその料理を味わって、味わいきって消化して、そこから次の料理を口にしないと、何を食べても美味しくないということです。

もしも誰かに腹が立ったのであれば、ちゃんと怒りの感情を感じる。

ただ、怒るだけではなくて、私はあの人の一体何に怒っているのか。

何が耐えられないのか。

どこの部分に感情が揺さぶられているのか。

なぜそう感じるのか。

怒り以外の他の感情はないのかなど、ひたすら感じて、感じ切ることが必要なのかもしれません。

そうやって感情を観ていくと、だんだんと相手に問題があるのではなく、自分の中からヒントや答えが出てきます。

そうやって、どんな感情でもひたすら味わい尽くして、繰り返し観ていくと、ある時ふっとその相手のことを理解できるようになります。

私の場合はこのように自己対話の中で完結していますが、相手と話し合う機会があったとしても、その前に自分の感情を感じ切っておけば、話し合いも良い方向に進むのではないでしょうか。

私の感情を感じるということは、同時に相手の感情にも寄り添うということにも繋がるのかもしれません。

私の感情は私のものであって、同時に私だけのものではないのかもしれませんね。

いかがでしょうか。

今日もお読みいただきありがとうございます!