周囲の人に合わせて、柔軟な態度をとることは大切ですが、人としてここは同調できないなと思う部分があれば、合わせることに無理はしなくてもいいのかもしれません。

人と人とのコミュニケーションは、相手に同調するばかりが分かり合うことではないからです。

時にはぶつかり、相手との違いを理解して受け入れることが出来ない時に、納得がいかないことまで同調する必要はないのかなと思います。

確かに、それぞれの立場によって、考え方も対応も違ってきますから、それは深く洞察をしたうえで言動を見極めることも大切でしょう。

しかし、どの立場であっても、どう考えてもおかしいと思えることも中にはあります。

例えば、いじめやハラスメントなど、人数や立場を利用して、相手を貶めたり、傷つけているのであれば、どの方向から見ても、それを正義だと思ったり、正当化する理由は見当たらないような気がします。

ですので、人に同調するときには、扇動してリードを取る人をよく観察し、そこについていくかどうかを考えたほうがいいでしょう。

自分で考えて行動する人は、時には孤立してしまうことも念頭に入れる必要があります。ただそれは、孤独ではないということです。

例え、孤立することがあっても、誤った方に導かれるよりはましですし、何より、自分が心から考えて進んだ結果なら、例え一人だったっとしても、誰に何を言われても気にすることはありません。

堂々としておくといいのです。

もしも、その道が間違っていると思ったのであれば、気付いた時にすぐに引き返せばいいだけです。その道さえも、自分で進まないと正しいか、間違っているかもわからないからです。

導くことを簡単に考えている人もいるかもしれませんが、導く人というのは、それだけ重要な役割をしているということです。

学校や職場、家族の中でも、指示を出したり、大勢をまとめたり、人を導く役割をするためには、自らが高く広い視野を持ち、全体を見渡し、多くの人に勇気や希望を与える役割を持ちます。

ただ、そういう役職についていたとしても、これができる人はとても少ない。

だから、人と違ったり、孤立するのです。

導く人の視野が狭くなっていたり、その人が持つ偏見で物事をみたり、固定観念がちがちにしていれば、誤った方向に人を導くことになりかねません。

ですから、導く役割を持っている人は、いつも自分の心を見張っていないといけないのかもしれません。

導く人を見た時、厳しそうとか、いわゆる上下関係のようなイメージもあるかもしれませんが、

本当の意味での導く人はその真逆です。暖かく、信頼してくれて、自由にしてくれる人です。

『解放』人を優しく解き放ち、相手の持っている力を信じて、成長を見守る人。

これが本当の意味で導く人です。

周囲にまだ、そのような人がいなければ、これを読むあなたがその導く人になってみるのはどうでしょう。

目の前の人を優しく見守り、信頼してあげること。

成長を喜び、希望を与え、応援することです。

年齢が上とか下とかは関係ないですし、誰にでもできます。

そして、人を導くことが出来るとき、その人自身も自立できています。

誰かの意のままに動かされるのか、それとも自らの足で立ち、進む方向を決め、次につながる人と暖かい目で応援するのか、人間力とはここに現れてくるのかもしれませんね。

いかがでしょうか。

今日もお読みいただきありがとうございます!