朝起きて、私は『あるもの』に目を向けるようにしています。
『あるもの』というのは、特定の何かではなく、今の私が手にしていたり、身の回りにあるものです。
今朝目が覚めて、起きることが出来た。
今日という日がある。
というようなことから始まり、身体があるとか、住むところがあるとか、とにかく今あると思うものを一つ一つ見つけていきます。
ノートに書き出すこともありますし、書き出した一覧を眺めて、私にはたくさん
『ある』ということに目を向けるようにしています。
私は以前、『ない』もの探しが得意でした。
というか、今でも気を抜くと『ない』ものにだけ目が向くかもしれません。
本当は、世の中のほとんどは、あってもなくてもどちらでもいいのだと思います。
ただ、『ない』もの一方にだけ目が向くと、不平や不満、他者と比較したり、それによって苦しくなると思うのです。
逆に、『ある』ものに目を向けると、『ない』ことには理由があるのではないかと、今の環境に納得ができるようになったり、自分の行いを顧みることが出来るようになります。
ですから、『ある』ことにも、『ない』ことにも両方感謝できるようになるのです。
一人で生きているわけではありませんから、どうしても他者と比較したり、誰かに憧れたり、今の生き方とは違う人生を歩みたくなる時もあるでしょう。
その時に、今の私には『あれもない』『これもない』と考えていれば、足りていません、不足しています、ということを周囲に表明していることになりますから、いつまでたっても心が満たされず、安心することはありません。
ですから、一度振り返って、たくさんの『ある』を探してみるのはいかがでしょう。
昔の時代に比べたら、長生きできる環境になったと思います。
しかし、街を歩く人も、仕事に向かう人も、みんなどこか生き急いでいる人が多いなと感じることがあります。
焦って何かを成し遂げたとしても、その先に心が満たされたり、安心感があるかどうかは、誰にもわかりません。
人生は短距離走ではないのでしょう。
きっと、マラソンよりももっとゆっくり、おしゃべりしながらできる程度の軽いジョギングとか、ウオーキングぐらいのものです。
短距離走であれば、周囲に『ある』ものは見えません。
早すぎて『ある』ものを見つけることが出来ないのです。ですから、『ない』ものだけを見ることになります。
軽いジョギングやウオーキングであれば、周囲の景色を見たり、時にはあちこち寄り道をしたりして、いろんな『ある』ものを見つけることが出来ます。
そして、『ある』を知ることが出来るから、『ない』ことの意味も分かるのです。
そうは言っても、時間は待ってはくれないし、周りからは急ぐように言われるし、ということもあるでしょう。
考えないといけないことや、しなければいけないこと、24時間あっても時間が全然足りないという時、普段の生活を見直してみることも必要かもしれません。
もしかしたら、『ない』という不足の思いから、いろんなことを足し算して、自分を追い込んでしまったり、しなくても良いことまでしているかもしれないからです。
例えば、お金が足りないと思えば、もっと収入を増やすことを考えたり、寝る時間を削ってダブルワークするとか、先に足し算することを考えるとでしょう。
もちろん、それも大事です。
しかし、それより先に、現在の支出を見直して、まずは必要経費を抑えるとか、出来る節約をしてから、不足分を補うようにした方がいいでしょう。
豊かな思想は引き算をして、貧しい思想は足し算をします。足し算、足し算で足すことばかり考えていれば、積みあがると思うかもしれませんが、実はそうではないのです。
このマインドを逆転させない限り、いつまでたっても貧しい思考から抜け出すことはできません。
『足るを知る』ことが出来れば、これ以上足し算をすることはしませんから、
今『ある』もので全力を尽くすことが出来るでしょう。
毎朝『ある』ものを探すと、私はなんて豊かで幸せなんだと感じることが出来ます。
そして、こんなに豊かで幸福であれば、周囲にも何か分けられないか、とか、他者が喜ぶことや親切にできることはないかと、自然に考えられるようになっていきます。
無条件に与える、というマインドになるのです。
この与えるマインドになった時、初めて本当の豊かさを知ることが出来るのではないでしょうか。
皆さんも、一緒に『ある』もの探ししませんか。
いかがでしょうか。
今日もお読みいただきありがとうございます!