私はいつもとても不思議に思うことがあります。

なぜ、多くの人が人は死んだらそこで終わりと思うのでしょうか。

私には全くそうは思えないのです。

特に理由はありませんし、そういう宗教観があるわけでもありません。

ただ、漠然と小さい頃からそう思っていました。

死んだらすべてが終わる、というわけではない、と。

確かに、身体の寿命はあるとは思います。

ですから、この身体自体は、その寿命で役目を終えていくと思います。

ただ、思いはずっと残るでしょうし、心もしくは魂、身体の中にある本来の私自身はなくなることはないですから、今までもあったし、この先もずっと続いていくと思っています。

また、多くの人が因果やカルマという言葉を知っているように、原因に対する結果は受け取らなければなりません。

ですから、自分がしたこと、思ったことはすべて鏡のように跳ね返り、戻ってくると思います。

私達は誰かのために言動に気を付けなければならないのではなく、すべては自分のために、周りへの言動に気を付けなければならないと思うのです。

その中で、いわゆる悪意とか、自分さえよければいいという考えを持つということが時々私にはわからなくなります。

なぜ自分に還ってくるのに、そんなことをするのだろうと、不思議に思うのです。

自分に戻ってくることを、どうしてそんなことをわざわざ周りにしているのか、相手の気持ちが本当にわからなくなる時があります。

また、人に向ける悪意など、なぜそうする必要があるのかも全くわからないのです。

人間はみんな違う存在ですから、競ったり、真似たりする必要もないですし、自分が上がるために相手を下げる必要も、満たされるために奪う必要もないからです。

同じレールを走っているならまだしも、そうではない人のレールのところに、わざわざ行ってちょっかい出す必要ってあるのかな?みたいな感じで、本当にわからないというか、不思議に思うのです。

もちろん中には、やむにやまれぬ事情からそうせざるを得ない場合もありますし、因果の責任をすべて背負うには難しい場合もあります。

そして、自分の中の弱さゆえに起こしてしまうこともあるでしょう。

ただ、故意で人を傷つけたり、悪意を持って人を陥れている時に、同時に周りに向かってこう言っていることと同じことになります。

私は無知で、弱い人間です、と。

腕力や権力などで抑え込んだとしても同じです。多くの人は声を出せなかったり、立場が弱いほうがダメなように思うかもしれません。

ですが、それは間違いであると言えます。むしろそういった力すらも、行使したことが、再び自分に還ってくるであろうことを、わかっていないと思うのです。

また、誰も見てはいないからとしてはいけないことをするときに、唯一それをじっと見ている人がいます。

それは自分自身です。

私がすることを一挙手一投足、ずーと見ています。

ですから、例え世界中の誰も見ていなくても、言動や思いがどうだったかを私自身は見ています。

もちろん、頑張っていることも見ているでしょうし、良くないことをしたときも見ています。

むしろ、他人に見られている方が楽かもしれません。

ですので、私は誰も見ていなくても誠実に生きたいと思っています。

なぜならば、ほかならぬ私が見ているからです。

また、周囲に対しても、愛を持って接したいといつも思っています。

それは何よりも自分のためにです。

身体の寿命は終わっても、因果や結果を受け取るということを拒否することはできません。

誰かに変わってもらうことも、それから逃げることもできないのです。

真面目な人やいつも優しかったり、一生懸命な人は、人から悪意を受けたり、傷つけられたり、悲しい思いをしてしまうこともあるでしょう。

その時に自分を責めてしまったり、真面目に生きるなんて馬鹿らしいとか、自分だけ損をしていると思うかもしれませんが、それは、すべてが死までで終わると考えているからです。

いろんな出来事や、情報を見ていると、時折人生とは平等ではなく、多くの人に取っては不条理だったり、力がないものには何もできないような気持になります。

ただ、それはそれです。私には何ら関係ない、そう思えばいいのです。例えば、ウサギと亀の話でも、最終的には亀が勝ちます。

ウサギも亀もそれぞれが自分たちのスピードで移動しているだけで、ウサギにはウサギの、亀には亀にとってのゴールがあると思います。

本人たちは別に競争をしていないのに、周りが競争していると思い込み、また、たまたまウサギが走って追い抜いた瞬間だけを切り取って、

『やっぱり人生は不条理だ』とか

『この世は不公平』と

と思っているだけかもしれません。

今の社会や情報は、往々にしてその部分だけを見せていることも多くあるような気がしています。

そして、その不条理な世界だからと、人を絶望させたり、不安をあおったり、怖がらせたり、中には執着させるものもあるでしょう。

ですが、それはそれです。

私には何ら関係ないことです。

そういう世界もあるのでしょうが、私の世界とは違います。

ですから、例えその場にいたとしても、その中に自分が巻き込まれたとしても、それは私の世界ではありません。

私には私の世界があります。皆さんにもそうでしょう。

ですから長い長い時間をかけて、それぞれの世界を大切にすればいいと思うし、死が終わりではないと思えば、焦りも無くなるでしょう。

この人生でいろんなことを詰め込まなくてもいいのですから、この人生では何かひとつでも出来たらもうOK、まぁ出来なくてもOK、なぜなら終わらないのだから。

ぐらいな気持ちで毎日を生きれたらいいと思うのです。皆さんはいかがでしょうか。

今日もお読みいただきありがとうございます!