2月28日の早朝に突然パッと目が覚めて、

『断捨離しよう』

という思いが降りてきました。

まだ早い時間で近所にうるさいかなと一瞬は思いましたが、すぐにクローゼットの中身から、家中全部ひっくり返す断捨離が始まったのです。

そして、ちょうど一か月たった今…

私の部屋には不要なものが一切なく、毎朝起きたら家中をせっせと掃除をする生活に変わりました。

1か月前の私には想像もできない生活で、その頃はいろんなものがごちゃごちゃしていたり、着ない服、使わないもの、過去の遺物、不要になった家電や家具、もじゃもじゃに伸びた観葉植物(なぜか異様に育ちが良くて)

見た目にはきれいでも、クローゼットに押し込んでいて、人から見えるところだけはきれいにしようとしている、中身ぐちゃぐちゃな性格が部屋に表れていたなと思います。

もちろん、掃除機は汚くなった時に、時々見えるところをちょいちょいっとな~って(笑)完全に部屋の空気は濁っていました。

いろんなものに押しつぶされそうになっていましたね~。

その頃も、今みたいにほぼ毎日ブログ投稿だけはしていましたが(よく投稿出来ていたなと思いますが)徹底的にここまで生活を変えようと思ったのにはきっかけがありました。

ものすごく嫌なことがあったんです(笑)

ただ、そのきっかけがなければ、今もあの生活をしていたのかと思うと、心底絶叫しそうなぐらいぞっとします。

ですので、その機会を与えられて本当に良かったと思っています。

むしろそのおかげだと思っていて、今は心から感謝しているぐらいです。

何が怖いって、断捨離前の状態がおかしいということに今まで気が付いていないということが一番怖かったです。

断捨離が始まったら、いろんなことも変えたくなって、髪を切ったり、行けてなかった歯医者に通ったり、古いものを全部新調して、部屋と同時に自分もどんどんリニューアルしていきました。

布団や食器類も、あとはいただき物もぜ~んぶ新しく好きなものに変えました。

お金はかかりましたが、今回、部屋にも自分にもかけるお金を絶対にケチらない!と心に決めたので、いろんなものをどれだけ購入しても全く罪悪感もなかったし、

君が心地よくなるためなら、いくらでも出そう!

みたいな気持ちになり、富裕層のあしながおじさんがいてくれるようでした。

あ、もちろん、支払いは自分ですけど。

すべての断捨離はちょうど春分の日に終わり、良い風と共に春を迎えることが出来て、断捨離が終わった後も掃除の手は止めることなく、今も毎日部屋のあちこちを見渡しては、雑巾片手にうろうろしています。

いろんなものを手離しながら、その時間は心と向き合う時間でしたね。

ドンドンと手離すものがなくなっていくうちに、最後に残ったのは私だったんですよね。

まさか私自身まで捨てることになるとは思いませんでしたが、もしかしたらそれを一番手離す必要があったのかもしれません。

私が捨てられない私という存在は、一体どんなものでしょう。

ジョハリの窓ですよね。

ジョハリの窓とは、ジョセフ・ルフト氏とハリントン・インガム氏によって考案された心理学モデルの一つです。

・自分も他人も知っている自分 解放の窓

・自分は知っているが他人は知らない自分 秘密の窓

・自分は知らないが他人は知っている自分 盲点の窓

・自分も他人も知らない自分 未知の窓

自己分析の手法として使われているようですね。

私だけが知っている私が私だけでもないし、他人だけが知っている私が私だけでもない。ましてや私も他人も知らない私もいるのだとしたら、

結局は『私』は誰?どんな人なのでしょうね。

私の定義ってよくわからないですよね。

『私ってこういう人!』の、

『こういう』の部分は、私から見た私と、

他人から見た私のイメージは真逆かもしれないし、

私も他人も知らない私かもしれない。

そう考えたら、『私のパーソナルイメージ』って別にもう何でもいいんじゃないかって思ったんですね。

何でもいいなら、今までの私が思う『私のパーソナルイメージ』も捨てて、自分の事を捨ててみたんです。

こんな私だったらいいな、も、

あんなふうに他人から見られたいな、も、

私はこんな人なので、も、

全部もういらないなって思いました。

なんでもいい、と。

なんでもいいって思えるようになってから、変なプライドとか、意地になるとか、かっこつけるみたいなことが全然なくなったんですよね。

今までは基準が、人からどう見られるかとか、こんな自分はよくない、みたいな感じで選んでいたり、こんなこと言うなんて恥ずかしくて素直に気持ちを言えないみたいなことも多かったのですが、そういう仮面みたいなのがなくなったんだと思います。

全然なんとも思わなくなって、思ったことを素直に話せるようになりました。

なので今は、

『私が笑顔でいられるか』とか

『私が心地よくいられるか』が選ぶ基準になっていて、

利益はあるだろうけど、私が笑顔でいられる自信がないとか、心地よく思えるイメージが湧かないものに関しては、徹底的に排除しています。

部屋がきれいになってから、そういうことに敏感になったんですよね。

ただ、そのために我慢とか、妥協を一切しなくなって、自分の欲望に素直というか、わがままになってしまったのですが、そういう私を私はとても好きだな~と最近思うのです。

みなさんはいかがでしょうか。

今日もお読みいただきありがとうございます!